サーバーの関係で、ブログのアドレスをひっこしします。
http://akirika.sblo.jp/
アドレスシンプルになりました。
きりのいいときに変えようかともおもったのですが、さぼり過ぎもよくないなぁということで、よろしくおねがいします。
2012年12月14日
2012年11月04日
ここのところの
2012年10月16日
2012年10月06日
あるひあるときあるばしょで

ある日私はとある街のデパートの地下の食品売り場で何かを買って袋詰めしていた。
すると後ろからレジに並ぶ女性の叫び声。
レジを打つ女の人に、ひたすら遅いだのなんだのと大声で文句らしい言葉をぶつけていた。

周囲の人は最初気がつかなかったけれど、誰かが気がついて注視することで、また近くの人が気がつき、注視する、そうしてその近くの人が気がつき...その波紋がまるで風でそよぐ草のように広がっていった。

叫ぶ女性は、周囲の人たちの注視にかまわず、同じ調子でレジの女の人の目を見ず、まるで壊れた機械の様にひたすら叫びつづけていた。
レジを離れて、袋に詰めてエレベーターへ向かい階上へあがる間ずっと。

周囲の人は、叫ぶ女性が居なくなるまで、その存在に注視し、そうして声が聞こえなくなると、その地下の食品売り場はまたそれぞれに動き始めた。
それは本当に、なにもなかったように。

私は買い物を終えて階上に上りデパートから出るとき、ふとベンチをみた。
いくつか並んでいるベンチのひとつにさっき地下で叫んでいた女性が小さく座って静かにパンを食べていた。
それはあまりにも普通で、あまりにも人間的な姿だった。
わたしたちは集団の中で、なにかしらの役目があって
彼女は彼女の理由で、あの場所でのあの役目を引き受けたのかもしれないと
そんな風におもい、そしてなぜだか谷保天満宮の古式獅子舞を思い出していた。
お囃子の一定のリズムにのって舞う獅子、そして時折現れる白髪の翁は獅子の舞をまるで邪魔するかの様に割って入る。
しかし、獅子と翁はまったくふれずに、それぞれに舞う。
そんなことを思い出していた。
2012年10月05日
営みと表現のあいだ
家浦の浜の路地は狭く、コンクリートの道。
それらは古くて、至る所に積み重ねられてきた痕跡。

家を壊した空き地の隅に地主神の祠を見つける事も多い。
今は そこにないもの/そこにあったことを標すもの

そういえば、肥土山のニッキの木もかつて家があった頃の祠が建っていた場所だと、中野さんが教えてくれた。
先日、軽トラを借りに近所のおじさんの家を訪ねた。
おじさんはじいちゃんの末の弟で、おじさんに「古い写真を集めている」と話すと、古い事をしらべるんやったら、と急に堰を切ったように牛ヶ首島の涅槃像の話しをしれた。私の大祖母はその島から豊島に嫁いできたそうだ。

牛ヶ首島はかつては人が住んでいて、今は人が住んでいない。
今は住んでいた事がある時期の事を知っている人がいる。
でもいずれはその人たちも居なくなる。
しかしながら、島には大きな涅槃物の首が優しく横たわっている。
それは人々の暮らしの証だとおもう。
ーー
先日「裸の島」という映画を見た。
人が島に居着くことの、そのひたむきさと、どうしようもなさとを、小さな島で暮らすひとつの家族をとおして、静かに、繰り返し、見るこちら側に差し出してくる映画。
私はその映像詩のような画面を見ながら、ドゥルーズの無人島のテキストをくりかえしおもいつつ
数年前に見た「祝の島」という映画で、自分の畑の石段に毎日なにかを刻むじいさんのことを思い出していた。
ーー
先月、旧友のご実家からアルバムを預かった。彼女を知っているから感じられるのかもしれないのだけれど、アルバムを眺めていて、現れる記号を探しつつも、溢れてくる感情があった。
他者というその映された時間と場所に決して居合わす事が出来ない対岸から見た「家族」の豊かさと厚みの記録。撮る側のまなざしとの関係性の上に成り立つ記録。
希望に満ちた記録。
記録にはこんな豊かな可能性があるのだと、無我夢中スキャニングしていた。
それをどう共有すれば良いのか。
すべきではないのだろうという分別とともに、対岸にある親密さを担保する手法を考えている。
それが果たしてできるのだろうか?
そして日々増幅してゆく公開する事へのためらい。
もしかして知人だからためらうのだろうか?
見ず知らずの人だったらためらわないのだろうか?
例えばベルリンの蚤の市で見た古いいつかのどこかの家族の写真を眺めた感情と、いまのこの感情の違いはあまりないような気がする。
しかし公開する事のためらいについてはものすごく違う。
つまり私はなんらかの関係性のなかで写真と対峙していた。
それは単に旧友であるということではなく、私が名前を名乗り、私の責任のもとで借りてきたというところにある。
写真を借りてくる際、持ち主の方と話しをし、写真を一緒に見ながらお話を聞く、長いときには3時間くらい聞いている。その話しの中にはそれぞれの生活に対する誠実さがあり、越えてきた歴史がある。それをふまえたいのは私で、だからこそ、担保すべきことがあって、でも突き抜けたい感情がある。
ーー
そんな葛藤とともに突き抜けたさきに、古い写真を集めたスライドショーの上映会はあった。
実際上映会をおこなって、そこは伝承の場だった。(もちろんまだまだ工夫しなければならないのだけれど...)
机の上では計り知れない現場の可能性。
現場には表現の発端があって、その発端は営みのしっぽのように感じている。
私たちは誰しもが暮らしている。
そうして、今此処に有る豊かさと知恵をいつかの誰かにぶるぶると振動のように伝えたい。
その手段は幾通りもあって、それぞれに愛おしい表現なのだと感じている。
だから、このことはずっと続けていこうとおもっている。
暮らしながら、自らの営みのしっぽの先の表現を追いかけたい。

すだれを編む大祖母
2012年09月18日
ユーグレナ
2012年09月09日
きがついたら9月

気がついたら窓から見える田んぼの稲刈りが始まっていて。
土地に根付いた営みと剥離してしまっている自分は相変わらず変わらない、だけれども、4年前、レジデンスで滞在した神山では、ものすごく疎外感を感じたことを、なにか対岸の灯りのように眺める自分が居る。
なんというか、自分の土に着くやりかたを、言葉ではうまくいえないけれども引き当てている。
豊島のばあちゃんちで暮らし始めてもうすぐ1ヶ月。
はやいのか遅いのかわからないけど、なんだか暮らしていることは確かで。。
この土地について、
対話と思考と関係性と労働と興味と実現したい事
それらが境目なく日々常にある。

ひとつの島が無人島でなくなるためには、
なるほど、単に人が住むだけではたりない。
島にかかわる人間の運動は、人間以前の島の運動をやり直す。
もしそれが本当だとしたら、人々は島に居着くことができるが、
そこはなお無人であり、なおいっそう無人になる。
(中略)
島にやって来る人間たちは現実に島に居着き、
そこに住民を増やす。
しかし、本当は、もし彼らが充分に分断され、
充分に創造的であるのなら、彼らはただ島に、
島自身についてのひとつの動的なイマージュを与えるだけだろう。
島を生み出した運動についてひとつの意識を与えるだけだろう。
その結果、島は人間をとおして、ついに無人の、
人家のない島として自意識を持つに至るだろう。
Gilles Deleuze /無人島の原因と理由より抜粋
2012年08月21日
いきなりですが今は豊島にいます

展覧会が終わった翌日に搬出をし、そのまま新幹線と船を乗り継いで西へ。
今は瀬戸内の島の豊島に居ます。
ばあちゃんが住んでいた家を片付けて、住み始めて一週間くらい。

こっちでも、ちゃんと珈琲だけは飲めています。

目的は今年の始めにたちあげた「てしまのまど」を始動させ、9月に催しをおこなうためではあるのですが、その先には私自身のこの島の事を感じ、自分自身の表現へと向かいたいという欲求が在るのだと思います。
歩いたり自転車に乗ったりして歩き、話しをし、ゆっくりと、此処の暮らしに耳を傾けている。
ときどき案の定、野菜をいただいたりして...

夜になると、訪れた人のほとんどは船で島を去り、人の営みは静まり、そして虫や生き物や風の奏でるオーケストラが始まります。
その事で、否応なくここが島であることを感じ、そうしてそのことに自由な気持ちになったり、寂しくなったりしています。

先日高校時代の同級生に多分卒業以来再会し美しすぎる夕日を見ながらいっていた言葉が、この島の人々の遠くを眺める視線に含まれる切なさのようなものと交差し、そうして私自身が今ひきあててしまっていることとも交ってしまった。
今、この島にたどり着いてしまっていることを、ゆっくり咀嚼しています。
。。。
てしまののまどの合宿は9月22日と23日を予定し、今プログラムを構築中です。
それぞれのこの島への視線からひらくまど、そのしまのことを見つめ、伝えることは、
どんな方法だってメディア=媒介でありえると思うのです。
島にはいろいろな事があります、いろいろな人が住んでいます。
そのままのことを、そのままの状態で、開きたい。
だって、此処に居る私はここのことも、そちらの事も、多分引き受けながら生活しているはず、知らない間に。
だったら知りたいし、知ってもらいたい、当たり前に。
そう思うのです。
2012年07月08日
個展のおしらせです
今月末より開催する個展のおしらせです。

多島の森(たとうのもり)
「あなたが白い月を仰ぎ見る
森では風に揺れる樹々が鳴く
島ではあたたかな雨が降りはじめる
わたしは海を渡る」
安 岐 理 加 solo exhibition
映像/立体/音/言葉/人/場所/出来事
会期:2012年7月31日(火)〜8月9日(木)6日(月)はお休み
時間:12時〜19時
場所:ブックギャラリー ポポタム
171-0021 東京都豊島区西池袋2-15-17
電話・ファックス 03-5952-0114
HP http://popotame.m78.com/shop


会期中はさまざまな催しをおこないます。
●8月1日(水)スカイプライブ 19:00オープン19:30スタート 参加費500円要参加申し込み
ヨシハマショウ 「ビオトープ」
沖縄から映像と音のスカイプライブ
●8月4日(土)トークショー 19:00オープン19:30スタート 参加費1000円要参加申し込み
吉澤弥生(社会学者)×安岐理加 「対話と表現/地域と文化」
●8月5日(日) まちあるき 16:30集合 17:00より 参加費500円 要参加申し込み
「西池袋界隈堂々めぐり」ポポタム周辺をみんなで散策します。
●8月7日(火)読書と散歩 19:00オープン 19:30スタート 参加費500円 要参加申し込み。
「折口信夫の『死者の書』と彼方と此方の景色」
沖縄の「古本のみせ言事堂」と「ブックギャラリーポポタム」をスカイプでつなぎ、遠隔地読書会。
言事堂のある那覇の若狭と西池袋の景色とともに折口信夫の「死者の書」を読みます。
(参加申し込み受付はポポタムのみです。)
●8月9日(木)18:00より、参加費無料 差し入れ歓迎!
ポポタム8かいめの8がつパーティ。
※参加申し込みはイベント名、参加者名、連絡先を記載しpopotame(@)kiwi.ne.jpまでご連絡ください。
ゲスト略歴
吉澤弥生
大阪大学招聘研究員/追手門学院大学・成安造形大学非常勤講師/NPO法人地域文化に関する情報と プロジェクト[recip]代表理事。大阪大学大学院修了、博士(人間科学)。専門は芸術社会学、文化社会学。労働、政策、運動、地域の視座から現代芸術 を研究。近著に論文「グラスルーツと文化政策」(『現代思想』2012年5月号、青土社)、単著『芸術は社会を変えるか?−文化生産の社会学からの接近』 (青弓社、2011)、調査報告書『若い芸術家たちの労働』(2011)『続・若い芸術家たちの労働』(2012)など。

吉濱翔
美術家・演奏家。那覇在住。在学中より沖縄県内での即興演奏、実験音楽、サウンドアートなどの企画を多数開催するほか、意識の差で聴こえてくる音をテーマの主軸とし、油彩、写真、サウンドインスタレーション/パフォーマンス等の発表を行う。また演奏では、トランペットを叩いて演奏する「トランペットガムランシリーズ」の展開や、日常にあふれている音を楽器として使う演奏法でありワークショップである「びおんおーけすとらプロジェクト」など、従来の演奏法を無視しながら展開する演奏を行い、国内外の多くのミュージシャンと共演する。

古本のみせ 言事堂
[言事堂]は、ことことどう、と読みます。那覇市若狭3丁目にある、芸術書中心の古本屋です。
美術書、工芸関連書、展覧会カタログ、建築書、写真集などの芸術全般の古書と新刊書、同人誌、自費出版本を取り扱いしています。
時々ですが、本の展覧会や美術展をひらいたり、珈琲店とのイベントも行っています。

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久しぶりの個展、そして東京での個展はいつぶりなのか
思い出せないです。
そして、自分が見て経験してきた景色を物語に編み込んでゆく作業に日々くるまれてすごしています。
作品の空間を通してみなさんと出会える事を楽しみにしています。
是非お越し下さい。

多島の森(たとうのもり)
「あなたが白い月を仰ぎ見る
森では風に揺れる樹々が鳴く
島ではあたたかな雨が降りはじめる
わたしは海を渡る」
安 岐 理 加 solo exhibition
映像/立体/音/言葉/人/場所/出来事
会期:2012年7月31日(火)〜8月9日(木)6日(月)はお休み
時間:12時〜19時
場所:ブックギャラリー ポポタム
171-0021 東京都豊島区西池袋2-15-17
電話・ファックス 03-5952-0114
HP http://popotame.m78.com/shop


会期中はさまざまな催しをおこないます。
●8月1日(水)スカイプライブ 19:00オープン19:30スタート 参加費500円要参加申し込み
ヨシハマショウ 「ビオトープ」
沖縄から映像と音のスカイプライブ
●8月4日(土)トークショー 19:00オープン19:30スタート 参加費1000円要参加申し込み
吉澤弥生(社会学者)×安岐理加 「対話と表現/地域と文化」
●8月5日(日) まちあるき 16:30集合 17:00より 参加費500円 要参加申し込み
「西池袋界隈堂々めぐり」ポポタム周辺をみんなで散策します。
●8月7日(火)読書と散歩 19:00オープン 19:30スタート 参加費500円 要参加申し込み。
「折口信夫の『死者の書』と彼方と此方の景色」
沖縄の「古本のみせ言事堂」と「ブックギャラリーポポタム」をスカイプでつなぎ、遠隔地読書会。
言事堂のある那覇の若狭と西池袋の景色とともに折口信夫の「死者の書」を読みます。
(参加申し込み受付はポポタムのみです。)
●8月9日(木)18:00より、参加費無料 差し入れ歓迎!
ポポタム8かいめの8がつパーティ。
※参加申し込みはイベント名、参加者名、連絡先を記載しpopotame(@)kiwi.ne.jpまでご連絡ください。
ゲスト略歴
吉澤弥生
大阪大学招聘研究員/追手門学院大学・成安造形大学非常勤講師/NPO法人地域文化に関する情報と プロジェクト[recip]代表理事。大阪大学大学院修了、博士(人間科学)。専門は芸術社会学、文化社会学。労働、政策、運動、地域の視座から現代芸術 を研究。近著に論文「グラスルーツと文化政策」(『現代思想』2012年5月号、青土社)、単著『芸術は社会を変えるか?−文化生産の社会学からの接近』 (青弓社、2011)、調査報告書『若い芸術家たちの労働』(2011)『続・若い芸術家たちの労働』(2012)など。

吉濱翔
美術家・演奏家。那覇在住。在学中より沖縄県内での即興演奏、実験音楽、サウンドアートなどの企画を多数開催するほか、意識の差で聴こえてくる音をテーマの主軸とし、油彩、写真、サウンドインスタレーション/パフォーマンス等の発表を行う。また演奏では、トランペットを叩いて演奏する「トランペットガムランシリーズ」の展開や、日常にあふれている音を楽器として使う演奏法でありワークショップである「びおんおーけすとらプロジェクト」など、従来の演奏法を無視しながら展開する演奏を行い、国内外の多くのミュージシャンと共演する。

古本のみせ 言事堂
[言事堂]は、ことことどう、と読みます。那覇市若狭3丁目にある、芸術書中心の古本屋です。
美術書、工芸関連書、展覧会カタログ、建築書、写真集などの芸術全般の古書と新刊書、同人誌、自費出版本を取り扱いしています。
時々ですが、本の展覧会や美術展をひらいたり、珈琲店とのイベントも行っています。

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久しぶりの個展、そして東京での個展はいつぶりなのか
思い出せないです。
そして、自分が見て経験してきた景色を物語に編み込んでゆく作業に日々くるまれてすごしています。
作品の空間を通してみなさんと出会える事を楽しみにしています。
是非お越し下さい。
2012年06月18日
6月の景色

今年は庭の紫陽花の青がとてもあざやかで、花をいっぱいつけている。
。。。

いつも梅を買っていた八百屋さんが閉じてしまった。
散々探して駅前の八百屋さんで今年の梅を手に入れた。
買ってきてからしばらく黄色く熟してくるまでざるにひろげておく。
そうすると家じゅうに梅のあまくてまるい薫りがひろがる。
今朝、目ざめたとき、その薫りに誘われて、
去年はなにしていたっけとか、一昨年は?10年前は?
と、通過して来たこの季節の事を、ぼんやり思った。
。。。

にゃんこが草むらでうずくまる夕方
おとなりさんが、茂ってきたラベンダーの花を摘んでいた。
それに触発されて、私も庭を少し手入れして、
おとなりさんちの生い茂ったフェンネルやミントと、うちの生い茂った紫蘇と交換。
うえのおにいちゃんが陸上部にはいったとか、
ひかりちゃんはバスケ部にはいったとか、
台風がきているらしいね、もう5号なんだってね、とか...そんな話しをしながら...
なんてことのない会話と作業。
まっすぐになる。
。。。


駅前の落書き 日々の希望。
