しばらく日本を離れるし、会いたい人たちも居るということで
放浪娘の帰省。
気持ちの中でのBGMはくるりの「家出娘」(映画リアリズムの宿のテーマソング)

大好きな場所、静岡を通過中はきれいな富士山が見送ってくれました。
去年のプロジェクトで知り合った、船越小学校のみんな、元気かな...
島に帰ったら、お会いしたかったお人に瀬戸内の美味しいお魚で迎えられ、
濃ゆいお話も出来ました。

父親の里の豊島にも、何年ぶりなのかわからないくらい久しぶりに行く事が出来ました。96歳になる祖母は可愛く年をとっていて、昔の話をなんどもなんども嬉しそうに話すのを私は心地よく聞いたのでした。
叔父は体調を壊してしまって、丁寧に育てたみかんやはっさくが全部枯れてしまった、と淋しそうにぽつりといいながら、最後一本残ったポンカンの実をくれました。
私がこの島の経験で培われた事はとても大きいし、いまの自分の支えにもなっていて、その豊かさがどんどん失われていく島を見ているととてもやりきれない。
けれども自分が出来ることってなんなんだろう....
アートってそういうとき頼りなく見えてしまうのかもしれない、けれどアートの立ち位置から発信出来きる豊かさへの転換方法はかならずあるはずなのだ....

そして、第二の古里のようになってしまった神山へ。
11月に、慌ただしく後ろ髪を引かれながら離れた山に帰ってきました。

町は大切な人を亡くして、静かにその別れに耐え偲んでいました。
八戸で、その訃報を知った私は、あまりに離れて居る場所にいる自分にどうしようもなさを感じたのだけれど、いま自分がやるべき事を全うすることを彼は理解してくれるだろうと信じて、心強いtecoのスタッフに支えられながらプロジェクトをやりきりました。
それは、かれが私に遺した宿題でもあるから....

滞在中、珍しく陽気が良く暖かかったので、親友で彼の奥さんとのんびり小麦を撒く

うまく出来たらパンを焼こうと云いながら...

そうして大晦日の早朝東京に戻ってきました。
私はどこへいくのだろう....
そんな漠然とした事を、こんないい歳をした大晦日にぼんやり抱えながら、その問いに向かっていく事は自分にとっては一筋縄ではないということを受け入れました。
むしろそのことですとんと落ち着いた感じ。
Art in life はそもそも私の命題
私だけの答えをだらだら考えようと思うのです。