あいしあってるかい?
ありがとう、涙がでたよ
2009年05月28日
2009年05月26日
机の上とフィールドワーク
ホンダくん(仮称)と食堂でご飯を食べた後、再び「せんがわ」で合流しようと言って一旦別行動。
目的は東京アートミュージアム。
絶対に向こうのほうが先につくはずなのに、まだ気配なし。
メールしてみたら。。。。
ホ「たぶん駅間違えた感じです(笑)」
私「もしかして池袋のほう?」
ホ「はい、千川です。完全にやっちゃいました。」
私「完璧だね。もしかしてルート検索?」
ホ「駅出てビビりました。机の上の仕事の危ないところっすね。」
つまり携帯のルート検索で「仙川」ではなく「千川」と入力。その情報を信じきって京王線の仙川ではなく有楽町線の千川にたどり着いてしまった彼。
いろいろ面白すぎて、考えれば考えるほど、彼にしかできない奇行。
机の上の仕事をちゃんとフィールドワークした訳だ、なるほど、面白い。
その前に食堂でさんざん話していたことと妙にリンクして、私からしたら机の上の仕事の面白い展開を披露してもらった。ありがとホンダくん(仮称)...
そうしてホンダくん(仮称)は凹みながらも仙川にやってきて合流、伊藤誠さんの作品を見る。
最終日かけこみ、作家本人がいらっしゃったので、器具(作品)を装着させていただく。
見た目拷問ぽい、つけても半分拷問なのだけど、
装着しないと得られない快感。
危ない作品。
作品のタイトルは「船」
人が体感する世界としての船。
名詞ではなく、むしろ動詞としての「船」。
作家の経験と知識とそしてフェティシズムを机の上で手作業により一つの装置に集約された作品。
そしてその作品は装着した者の記憶と感覚に連鎖してゆく。
装着させてもらった私はカヌーに乗ったときのあの水面に浮かぶ浮遊感が意識の中に広がり、そのとき感じた自分だけの海が現れ、二重の記憶の中を泳いだ。
同時に今ここでの軸として、装置の重みと苦しみを感じつつ。。。。
「最終的にはかっこいいかどうかだよね....」
久しぶりにタイニーカフェに行きカフェオレをのみながら、だらっとそんな話でひと盛り上がりして、解散。
極上の机の上の仕事。
その人だけのフィールドの上空を泳ぐような、
もしくは森のなかを彷徨いながら、その森の方法を詳しく手に取るような。。
目的は東京アートミュージアム。
絶対に向こうのほうが先につくはずなのに、まだ気配なし。
メールしてみたら。。。。
ホ「たぶん駅間違えた感じです(笑)」
私「もしかして池袋のほう?」
ホ「はい、千川です。完全にやっちゃいました。」
私「完璧だね。もしかしてルート検索?」
ホ「駅出てビビりました。机の上の仕事の危ないところっすね。」
つまり携帯のルート検索で「仙川」ではなく「千川」と入力。その情報を信じきって京王線の仙川ではなく有楽町線の千川にたどり着いてしまった彼。
いろいろ面白すぎて、考えれば考えるほど、彼にしかできない奇行。
机の上の仕事をちゃんとフィールドワークした訳だ、なるほど、面白い。
その前に食堂でさんざん話していたことと妙にリンクして、私からしたら机の上の仕事の面白い展開を披露してもらった。ありがとホンダくん(仮称)...
そうしてホンダくん(仮称)は凹みながらも仙川にやってきて合流、伊藤誠さんの作品を見る。
最終日かけこみ、作家本人がいらっしゃったので、器具(作品)を装着させていただく。
見た目拷問ぽい、つけても半分拷問なのだけど、
装着しないと得られない快感。
危ない作品。
作品のタイトルは「船」
人が体感する世界としての船。
名詞ではなく、むしろ動詞としての「船」。
作家の経験と知識とそしてフェティシズムを机の上で手作業により一つの装置に集約された作品。
そしてその作品は装着した者の記憶と感覚に連鎖してゆく。
装着させてもらった私はカヌーに乗ったときのあの水面に浮かぶ浮遊感が意識の中に広がり、そのとき感じた自分だけの海が現れ、二重の記憶の中を泳いだ。
同時に今ここでの軸として、装置の重みと苦しみを感じつつ。。。。
「最終的にはかっこいいかどうかだよね....」
久しぶりにタイニーカフェに行きカフェオレをのみながら、だらっとそんな話でひと盛り上がりして、解散。
極上の机の上の仕事。
その人だけのフィールドの上空を泳ぐような、
もしくは森のなかを彷徨いながら、その森の方法を詳しく手に取るような。。
2009年05月18日
ぐるぐる東京
鉄子ではありますが、東京では電車に乗り換えるくらいなら歩く派。
歩きたい町、よってきたいお店を絡めながら、私だけのルートを編み出す。
まず、中央線から井の頭線に乗り換えて、駒場東大前下車、あえて東大を抜けて、ルヴァンへ。
相変わらず丁寧においしいパン。
東大駒場校って地味だけど、けっこうのんびりできていい、三昧堂まであった。

毎月13日は三昧講があるのだそう、気になる。
ルヴァンから渋谷まで歩く途中、こちらも久しぶりhomspunシンプルで着易い洋服、大好き。
本日はぐっと我慢。
渋谷駅に向かいながら、町の標識は神山町。
そういえばそうだった。


なかなかイカす通り。かなりの時間彷徨ってしまう。
渋谷からは素直に電車に乗ってみる。
視線をちょっと旅行者の視点にしてみると、渋谷が新鮮に見えたりしておもしろい。



祐天寺からナリワイへの道は、東京的な暮らす感じ。
こういう風景に出会うとなぜだかUAのミルクティという曲が頭の中を流れる。


ナリワイ入り口

かまどのあるギャラリーとそこで展示されている作品

床
ナリワイでは、いとうさんと久しぶりに再会。
イトウさんも徳島の神山町に何度か訪れていて、土間で、繰り広げられる神山妄想トーク。

風に揺れる作品たちも、妄想に参加しているようで、ちょっとおかしかった。
そういうの、土間ならではというか、自然に生業の話題へ突入していけるギャラリー?
いや、家に作品が同居している?
何とも言えないバランス。
その後、神保町のamuletイラストレーター大塚砂織さんのオープニングへ
言水へリオ&おおの麻里夫婦に久しぶりに会う。
ギーボーともお店の前でばったり、で、ゆるゆる釣り仲間集結。
いっぱい歩いたので、駆け込み一杯、ビールがうまかった。

帰り、久しぶりに西新宿界隈を通過。
少し前までここに毎日通っていたのが、ちょっと遠い日に感じる。

実は前日もっと行く予定の場所はあったけど、だいたいいつも半分くらいが未遂に終わる。
ということで翌日、吉祥寺の「Ongoing」
冨井くんの展示を見る。
夜のイベントも濃ゆい感じ。

作品を堪能した後に、展覧会ごとに発行している小冊子を読みながらまどろむのがここでの私の嗜み方。
Ongoingの小川さんのテキストはいつも心に刺さってくる。
それはアートを過大評価することも、斜め視線で俯瞰することもなく、カフェの看板メニュースペシャルバーガーをひとつひとつ丁寧にもてなすことと、一人一人のアーティストと丁寧に企画を進めていくこと、が同一線上にある、それはとても豊なことだと思う。
次回の企画は「”NO FUTURE”, NO FUTURE」
そして、中央線が止まっていたので銀座はあきらめて、恵比寿。
吉賀あさみさんの展示を見る。
本人も居て、やっぱり久しぶりの再会。
近況とか、お互い去年にそれぞれ参加したレジデンスのことを話しながら、自分がかつての場所にはもう居ないことを感じる。
うまくいえないけれど、とにかくそう、清々しく思った。
東京はぐるぐる ぐるぐる 確実に動いていて、それはもう生き物のよう。
でもまぁ、みんなこの場所を普通に愛している。
人に会うたびにそう思う。
私もそれは同じだ。
先日田舎に帰ってた。再会するいろんな友人たちに「東京の人」っていわれて、はて?本当に私はそうなんかい?とよくわからなかったのだけど、確かに私は今「東京に住まう人」だ。
でもそれが、小豆島に住まう人とか、神山町に住まう人とか沖縄に住まう人とかはたまたベルリンに住まう人とか....違いなんてさほどないと思う。
どこで暮らしても、どうしようもないことも、うれしくて仕方ないことも、どちらとも飲み込んだ営みがある。
そう、未来のない未来なんてない のだ。

どっちもがどっちもを少し憧れていて少し妬んでいる、それをどうにかしたいとさえおもっていたりして、そんなこと、アートには関係ないなんて、私はこれっぽちも思っていない。
歩きたい町、よってきたいお店を絡めながら、私だけのルートを編み出す。
まず、中央線から井の頭線に乗り換えて、駒場東大前下車、あえて東大を抜けて、ルヴァンへ。
相変わらず丁寧においしいパン。
東大駒場校って地味だけど、けっこうのんびりできていい、三昧堂まであった。

毎月13日は三昧講があるのだそう、気になる。
ルヴァンから渋谷まで歩く途中、こちらも久しぶりhomspunシンプルで着易い洋服、大好き。
本日はぐっと我慢。
渋谷駅に向かいながら、町の標識は神山町。
そういえばそうだった。


なかなかイカす通り。かなりの時間彷徨ってしまう。
渋谷からは素直に電車に乗ってみる。
視線をちょっと旅行者の視点にしてみると、渋谷が新鮮に見えたりしておもしろい。



祐天寺からナリワイへの道は、東京的な暮らす感じ。
こういう風景に出会うとなぜだかUAのミルクティという曲が頭の中を流れる。


ナリワイ入り口

かまどのあるギャラリーとそこで展示されている作品

床
ナリワイでは、いとうさんと久しぶりに再会。
イトウさんも徳島の神山町に何度か訪れていて、土間で、繰り広げられる神山妄想トーク。

風に揺れる作品たちも、妄想に参加しているようで、ちょっとおかしかった。
そういうの、土間ならではというか、自然に生業の話題へ突入していけるギャラリー?
いや、家に作品が同居している?
何とも言えないバランス。
その後、神保町のamuletイラストレーター大塚砂織さんのオープニングへ
言水へリオ&おおの麻里夫婦に久しぶりに会う。
ギーボーともお店の前でばったり、で、ゆるゆる釣り仲間集結。
いっぱい歩いたので、駆け込み一杯、ビールがうまかった。

帰り、久しぶりに西新宿界隈を通過。
少し前までここに毎日通っていたのが、ちょっと遠い日に感じる。

実は前日もっと行く予定の場所はあったけど、だいたいいつも半分くらいが未遂に終わる。
ということで翌日、吉祥寺の「Ongoing」
冨井くんの展示を見る。
夜のイベントも濃ゆい感じ。

作品を堪能した後に、展覧会ごとに発行している小冊子を読みながらまどろむのがここでの私の嗜み方。
Ongoingの小川さんのテキストはいつも心に刺さってくる。
それはアートを過大評価することも、斜め視線で俯瞰することもなく、カフェの看板メニュースペシャルバーガーをひとつひとつ丁寧にもてなすことと、一人一人のアーティストと丁寧に企画を進めていくこと、が同一線上にある、それはとても豊なことだと思う。
次回の企画は「”NO FUTURE”, NO FUTURE」
そして、中央線が止まっていたので銀座はあきらめて、恵比寿。
吉賀あさみさんの展示を見る。
本人も居て、やっぱり久しぶりの再会。
近況とか、お互い去年にそれぞれ参加したレジデンスのことを話しながら、自分がかつての場所にはもう居ないことを感じる。
うまくいえないけれど、とにかくそう、清々しく思った。
東京はぐるぐる ぐるぐる 確実に動いていて、それはもう生き物のよう。
でもまぁ、みんなこの場所を普通に愛している。
人に会うたびにそう思う。
私もそれは同じだ。
先日田舎に帰ってた。再会するいろんな友人たちに「東京の人」っていわれて、はて?本当に私はそうなんかい?とよくわからなかったのだけど、確かに私は今「東京に住まう人」だ。
でもそれが、小豆島に住まう人とか、神山町に住まう人とか沖縄に住まう人とかはたまたベルリンに住まう人とか....違いなんてさほどないと思う。
どこで暮らしても、どうしようもないことも、うれしくて仕方ないことも、どちらとも飲み込んだ営みがある。
そう、未来のない未来なんてない のだ。
どっちもがどっちもを少し憧れていて少し妬んでいる、それをどうにかしたいとさえおもっていたりして、そんなこと、アートには関係ないなんて、私はこれっぽちも思っていない。
2009年05月17日
ニチニチ
久しぶりにニチニチ日曜市へ行く。
アムプリン最後の日以来だから、相当いっていなかった。
そうしたら今月で4周年。そしてものすごい行列。

いつもだったらさっさと帰るのだけど、帰ったら帰ったでやらなければならないことが待ち受けている ....その逃避で並んでいた。
しばらくして私の後ろに男の子と女の子が並ぶ、二人もこの行列に驚いていて、でもちょっと興奮している。
なんとなく、どっちからという訳でもなく話しかけ、ぽつりぽつりと話が動き始める。
しばらくして、会話は途切れるのだけれど、それがちょっともったいなくて、なんか話しかけてしまう感じ。
そうしていつの間にか一時間が経ち、やっと自分たちの入店順番がきて、買い物を終えた時には、彼らもアーティストであること、そして互いの名前とか、家とか知り合っていた。
それは、すこしニチニチの魔法なのかもしれないと思った。
ニチニチにはウェブサイトがない。
でも、いつだってお店は満席で、日曜市だって、元々はお店で配布しているチラシから始まって、それはもうまさに「口伝」のごとく口コミでどんどん、どんどん広がって、4周年。
行列に人たちは、タテヨコナナメいろんな角度の線でつながっている人たちなのだ。
彼らも私もこの町に住んでいて、でもそんなに大きな町ではないし、けっこう近所だし、きっと何度もいろんなところですれ違っていたに違いない。
出会いはいつもタイミングなのだ。
そうして、彼らとは「今度ニチニチで飲もーねー」と言って別々の方向へ。
風の強い日曜日のお昼過ぎのちょっとおかしくて、あたたかな出来事。

ニチニチ日曜市のチラシ、来年までのカレンダー。普通にすごいと思う。
アムプリン最後の日以来だから、相当いっていなかった。
そうしたら今月で4周年。そしてものすごい行列。
いつもだったらさっさと帰るのだけど、帰ったら帰ったでやらなければならないことが待ち受けている ....その逃避で並んでいた。
しばらくして私の後ろに男の子と女の子が並ぶ、二人もこの行列に驚いていて、でもちょっと興奮している。
なんとなく、どっちからという訳でもなく話しかけ、ぽつりぽつりと話が動き始める。
しばらくして、会話は途切れるのだけれど、それがちょっともったいなくて、なんか話しかけてしまう感じ。
そうしていつの間にか一時間が経ち、やっと自分たちの入店順番がきて、買い物を終えた時には、彼らもアーティストであること、そして互いの名前とか、家とか知り合っていた。
それは、すこしニチニチの魔法なのかもしれないと思った。
ニチニチにはウェブサイトがない。
でも、いつだってお店は満席で、日曜市だって、元々はお店で配布しているチラシから始まって、それはもうまさに「口伝」のごとく口コミでどんどん、どんどん広がって、4周年。
行列に人たちは、タテヨコナナメいろんな角度の線でつながっている人たちなのだ。
彼らも私もこの町に住んでいて、でもそんなに大きな町ではないし、けっこう近所だし、きっと何度もいろんなところですれ違っていたに違いない。
出会いはいつもタイミングなのだ。
そうして、彼らとは「今度ニチニチで飲もーねー」と言って別々の方向へ。
風の強い日曜日のお昼過ぎのちょっとおかしくて、あたたかな出来事。
ニチニチ日曜市のチラシ、来年までのカレンダー。普通にすごいと思う。
2009年05月15日
秘密基地
夕方、ひかりちゃんが「今、谷口さんのカフェやってるよ」と知らせてくれた。
谷口さんのカフェとは、近所にある自主学校の先生である谷口さんが生徒達が帰ってから大人達だけでこっそり開店するカフェ。
いや、こっそりだかどうかはしらないけど。。。
私は秘かに谷口さんがつくっている風車とかプランターを利用した水車に釘付けなので、そんな秋葉系な話もしてみたかったから、自作のペットボトルの光る風車を持って学校へ。

人知れず、勢い良くまわる風車、かわいい
学校ってもアパートを教室にしているので、畳間でちゃぶ台。
お客さんは生徒のお母さんたち。
お母さんたちも、先生も同世代だし、子供達も私も良く知っているので、話題は止めどなく、今谷口さんが編んでいる、竹籠(竹馬をばらした竹から生徒達と一緒に竹材からつくったのだそう)をみんなでまじまじ見てみたり、私の新しいひかる風車の案を見てもらったり、ほかにもあんなことしたら楽しいね、とか野望が小さな茶の間でどんどん膨らんでいく。
すこし暗くって、そんで親密で、だらだらしてて、慌ただしい日々の留まり木のような....そんな時間。
木曜日限定秘密基地、これからちょくちょく行ってしまいそう。。。
谷口さんのカフェとは、近所にある自主学校の先生である谷口さんが生徒達が帰ってから大人達だけでこっそり開店するカフェ。
いや、こっそりだかどうかはしらないけど。。。
私は秘かに谷口さんがつくっている風車とかプランターを利用した水車に釘付けなので、そんな秋葉系な話もしてみたかったから、自作のペットボトルの光る風車を持って学校へ。

人知れず、勢い良くまわる風車、かわいい
学校ってもアパートを教室にしているので、畳間でちゃぶ台。
お客さんは生徒のお母さんたち。
お母さんたちも、先生も同世代だし、子供達も私も良く知っているので、話題は止めどなく、今谷口さんが編んでいる、竹籠(竹馬をばらした竹から生徒達と一緒に竹材からつくったのだそう)をみんなでまじまじ見てみたり、私の新しいひかる風車の案を見てもらったり、ほかにもあんなことしたら楽しいね、とか野望が小さな茶の間でどんどん膨らんでいく。
すこし暗くって、そんで親密で、だらだらしてて、慌ただしい日々の留まり木のような....そんな時間。
木曜日限定秘密基地、これからちょくちょく行ってしまいそう。。。
2009年05月10日
旅
出合いなおす旅。

家は伝法川の河口で、昔大きな台風が島を直撃したときに、床上浸水になった。
その後くらいから、堤防の斜めのところにざくろが自生している。
「危険立ち入り禁止」の赤いはたは子供の頃からたてて有るけど、何故だか決してこの木を抜くことはしない。
子供の頃、このざくろをもぎって食べたけどものすごく酸っぱかった。
ベルリンのスタジオで作品のためにざくろと格闘しながら、ざくろはどんな道をたどって家の前の堤防の隙間に辿り着いたのだろうと考えたりした。
ベルリンのトルコマーケットで買ったザクロは甘くて美味しかった。
家の正面には八幡さんの山がある。こんもりお椀をひっくり返したような山。
その山のてっぺんにちょこっとでもしっかり見える社の角をいつも無意識に見ていた。
帰ってきたご挨拶に八幡さんにのぼる。
通っていた中学校のすぐそばにあって、相変わらず休日の野球部は練習三昧。
社の裏にこんもりとした小さな山があって、てっぺんまできれいに整備している。
今の神主さんは幼なじみのお父さんで、そのセンスが伺える。
いままで気が付かなかったけれど、てっぺんには、石神さまが祀られていた。

家のトイレの窓から、見えるこのこんもりとした山。
トイレから眺めていた場所はここだったのかもしれないと思う。
近所の宝生院のシンパクにもご挨拶。

宝生院の隣には別の幼なじみがすんでいる。
大声で名前を叫んでみようかとおもったけど、一応二児の父なのでやめておく。
シンパク翁は今も尚重たい身体をもたげながら、ゆったりと空を仰いでおられた。
幼なじみの家のとなりの病院は、病院ではなくなっていて、そして途中のニワトリ小屋からはニワトリが消えていた。
高松港から土庄港へ行く航路から見えるこうのぼりの群れ

廃校になってしまった戸形小学校のPTAの方々が今も尚毎年子供達の願い事を乗せた鯉を泳がせているのだそう。
コミュニティとは、その地域を愛おしく思う行為によって、守られていくのだと、ベルリンの、土地とは全く隔絶したコミュニティを散々見て辛くなってしまった分、ここの小学校跡地に来てほっとしたのだ。
毎年この時期に肥土山地区で農村歌舞伎がある。

出演者ももちろんの事、全てのスタッフは地元の人でまさに老若男女全てが関わる地元の行事。
高校の時にいろいろつるんで楽しい事してた旧友は、すっかりこの地区を引っ張って相変わらず面白い事をやっていて、彼の営み、つまり土地で生きていく事、受け継ぎそして受け渡し、やがて老いて往く事を当たり前に受け入れること。
そんなことを彼の話から沁みるように感じた。


肥土山は島ではあまりない山に囲まれた海の見えない地区。
その地区の名前のごとく、稲田が広がる地区。

数年前同じく農村歌舞伎を見に訪れた時、地元の翁が
「文化を守るためとはちごうて、自分たちの班で終わらせたら恥や、という意地でこの歌舞伎は続いとんや」と云っていたことをときどき日々の暮らしの中でも思い出す。
観光資源も、海の資源も持ち得ないこの地区が営みとして選ばざるを得なかったの稲田。そしてそのコミュニティを永続するべく生まれた文化がいまも尚営みとともに受け続かれている事、それはかれらの意気込み以外の何物でもないだろう。
秋祭りの太鼓を担ぐときの団結力にもそれがはっきりと現れていたことを、山と歌舞伎を眺めながら思い出し、その時感じた事も思い出すというよりも再び引当てて、自分の気持ちの中に溢れだしていた。
ゴールデンウィークの古里への旅。
古い友人、そして出会ってまもないけれど心の底の方でつながっている友人、それぞれの視点、それぞれの生き方、そんな彼らの営みを対岸に見据え、自分の居る場所を感じる旅。
出会いなおしの旅。
いやもしかしたら、また新しく出会ったのかもしれない。

家は伝法川の河口で、昔大きな台風が島を直撃したときに、床上浸水になった。
その後くらいから、堤防の斜めのところにざくろが自生している。
「危険立ち入り禁止」の赤いはたは子供の頃からたてて有るけど、何故だか決してこの木を抜くことはしない。
子供の頃、このざくろをもぎって食べたけどものすごく酸っぱかった。
ベルリンのスタジオで作品のためにざくろと格闘しながら、ざくろはどんな道をたどって家の前の堤防の隙間に辿り着いたのだろうと考えたりした。
ベルリンのトルコマーケットで買ったザクロは甘くて美味しかった。
家の正面には八幡さんの山がある。こんもりお椀をひっくり返したような山。
その山のてっぺんにちょこっとでもしっかり見える社の角をいつも無意識に見ていた。
帰ってきたご挨拶に八幡さんにのぼる。
通っていた中学校のすぐそばにあって、相変わらず休日の野球部は練習三昧。
社の裏にこんもりとした小さな山があって、てっぺんまできれいに整備している。
今の神主さんは幼なじみのお父さんで、そのセンスが伺える。
いままで気が付かなかったけれど、てっぺんには、石神さまが祀られていた。

家のトイレの窓から、見えるこのこんもりとした山。
トイレから眺めていた場所はここだったのかもしれないと思う。
近所の宝生院のシンパクにもご挨拶。

宝生院の隣には別の幼なじみがすんでいる。
大声で名前を叫んでみようかとおもったけど、一応二児の父なのでやめておく。
シンパク翁は今も尚重たい身体をもたげながら、ゆったりと空を仰いでおられた。
幼なじみの家のとなりの病院は、病院ではなくなっていて、そして途中のニワトリ小屋からはニワトリが消えていた。
高松港から土庄港へ行く航路から見えるこうのぼりの群れ

廃校になってしまった戸形小学校のPTAの方々が今も尚毎年子供達の願い事を乗せた鯉を泳がせているのだそう。
コミュニティとは、その地域を愛おしく思う行為によって、守られていくのだと、ベルリンの、土地とは全く隔絶したコミュニティを散々見て辛くなってしまった分、ここの小学校跡地に来てほっとしたのだ。
毎年この時期に肥土山地区で農村歌舞伎がある。

出演者ももちろんの事、全てのスタッフは地元の人でまさに老若男女全てが関わる地元の行事。
高校の時にいろいろつるんで楽しい事してた旧友は、すっかりこの地区を引っ張って相変わらず面白い事をやっていて、彼の営み、つまり土地で生きていく事、受け継ぎそして受け渡し、やがて老いて往く事を当たり前に受け入れること。
そんなことを彼の話から沁みるように感じた。


肥土山は島ではあまりない山に囲まれた海の見えない地区。
その地区の名前のごとく、稲田が広がる地区。

数年前同じく農村歌舞伎を見に訪れた時、地元の翁が
「文化を守るためとはちごうて、自分たちの班で終わらせたら恥や、という意地でこの歌舞伎は続いとんや」と云っていたことをときどき日々の暮らしの中でも思い出す。
観光資源も、海の資源も持ち得ないこの地区が営みとして選ばざるを得なかったの稲田。そしてそのコミュニティを永続するべく生まれた文化がいまも尚営みとともに受け続かれている事、それはかれらの意気込み以外の何物でもないだろう。
秋祭りの太鼓を担ぐときの団結力にもそれがはっきりと現れていたことを、山と歌舞伎を眺めながら思い出し、その時感じた事も思い出すというよりも再び引当てて、自分の気持ちの中に溢れだしていた。
ゴールデンウィークの古里への旅。
古い友人、そして出会ってまもないけれど心の底の方でつながっている友人、それぞれの視点、それぞれの生き方、そんな彼らの営みを対岸に見据え、自分の居る場所を感じる旅。
出会いなおしの旅。
いやもしかしたら、また新しく出会ったのかもしれない。
2009年05月07日
Souvenir @ Kunstraum Kreuzberg / Bethanien

ベルリン滞在中に制作した作品の展示のお知らせです
フライヤー&カタログデザインのSHOWさんとはこれがきっかけでお友達になりました。

SOUVENIR
25 Artists in Residence at GlogauAIR
Kuratiert von Irene Pascual und Lena Braun
Curated by Irene Pascual and Lena Braun
8. Mai bis 21. Juni 2009
May 8 to June 21 2009
Eine Ausstellung von GlogauAIR in Zusammenarbeit mit dem Kunstraum
Kreuzberg/Bethanien, mit Unterstützung der Región de Murcia, Spanien
An Exhibiton of GlogauAIR in collaboration with the Kunstraum Kreuzberg /Bethanien,
with the support of Región de Murcia, Spain
[ Kunstraum Kreuzberg/Bethanien ]
Presseempfang/ Press presentation : 8. Mai 2009, 11h
Vernissage: 8. Mai 2009, 19h
Künstlerhaus GlogauAIR (glogauerstr. 16 10999 Berlin)
Finissage: 19.06.09, 19-3h und 20.06.09, 15-20 h
VERNISSAGE 08.05.2009, ab 19h
Im Kunstraum Kreuzberg/Bethanien
Begrüßung/ Speach: Sigrid Klebba
Interventionen/ Interventions : Tamara Rewse aka Atrina the singer (AU)
und Funda Özgünaydin (DE)
Performance: Souvenir Souvenir mit Jaqueline Tauil (AR), Ana Kavalis (CU),
Rosa Teixidor (ES), Kostüm: Reies Perez (ES)
Musik: DJ Man-L (ES), Dj-Team Rotzifotzi (DE)
Teilnehmende KünstlerInnen/ Involved Artists: Rika Aki/Japan, Sojung Jun/Korea, Funda Özgünaydin/ Deutschland, Rein Vollenga/ Holland, Elisa Balmacenda/ Chile, Anna Pickering/ Grosbritannien, Mariana Viegas/ Portugal, Alfonso Escudero/ Spanien, SAM 3/ Spanien, Moonjoo Lee/ Korea, Eduardo Balanza/Spanien, Araceli Martinez/Spanien, Petra Grozaj/Kroatien, José De León/Spanien, Coto+Lara/Spanien, Cecile Azoulay/Frankreich, Vessna Perunovich/Kanada, Hideaki Idetsuki/Japan, Olivier Larivière/Frankreich, Tamara Rewse/Australien, Carolina Cordeiro/Brasilien, Kuno Ebert/Deutschland, Anna Szigethy/Ungarn, Pilar Alonso/Spanien, Cecilio Chaves/Spanien
本人は帰国してしまいましたが、ベルリン近くの方どうぞおこしください
って、このブログ読んでいる人でベルリン在住の人何人いるのだろうか...
