2009年11月29日

11月

霜月に入って早々
長年愛用していた湯たんぽに穴があく。
新しいのを買ってこなければいけない。
同じのにしようか、それとも陶器のにしようか迷う。

古民家の我が家は既に極寒ベルリンより寒く、デスク周りはヒエヒエなのでmacをちゃぶ台に移動。
とたんにマイマックちゃんはアウトプットからインプットのツールへ。。
ちゃぶ台恐るべし。


。。。。。


さて、言い訳はさておき...
11月は色んな人と場所との再会しました。



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希央ちゃん淳ちゃんと竹生島へ。
二十代の頃、何度も往復した道を彼女の導きによって再びゆく。
琵琶湖があんなに沁みたのははじめて。
あの頃はきっとなにかわたしにとっての結界がはられていたのだろう。


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昔暮らしていたときに飼っていた黒猫のたが眠っている場所にも行ってみた。


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周りはずいぶんかわっていたけれど、そこだけはたけのまんま。
黒猫のたは土に還えり、なにかにひきつがれたよね。
それを確認できてうれしかった。




常滑在住ハマヒガ夫婦にも再会。

新しいアトリエ。やきもの散歩道入り口にあって、かっこよすぎる。



うたちゃんの作品.jpg
奥さんのうたちゃんの作品


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ハマヒガさんの作品


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人形の振りをするハマヒガ氏

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ハマヒガさん行きつけのおしゃれカフェにも連れて行ってもらった。
(本人が断固として主張)


二人に連れられて散歩しているとすれ違う人が陶芸作家だったり、アーティストだったり、地元をしっかり面倒見ているおじさんだったり。
常滑は、いい具合にメンツがそろっている。
そこに二人とも自分のキャラは消さずにいい具合にとけ込んでいるのが面白い。

それってなかなかできそうでできない事だとおもう。

。。。。。

そして先週は沖縄へ

言事堂ヘリオ氏おおの麻里さんと待ち合わせ。
宮城家3人も交えて6人でなぜかトランプに夢中になる。


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お店には瀬戸内国際芸術祭のポスターが!
店長の未来ちゃんとは同郷なのです。


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未来ちゃんと、娘の柚希ちゃんとドライブ。
久しぶりにちらー小そばに連れて行ってもらい、画廊沖縄で開催中の儀保さんの個展へ
ひっきりなしのお客さん。
画廊であやちゃんと国吉さんと再会。
久しぶりの国吉さんトークに引き込まれる。


イベントに遊びにいっていずみちゃんや吉田さん、ひばりやさんとも会った。

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みきちゃんといずみちゃん


元前島アートセンタースタッフのゆみこちゃんとも再会。
彼女との出会いは2005年のwanakio2005
そのときに感じた彼女のまっすぐさをいまもさびる事なく感じてうれしくなる。



。。。。。

再会の旅、旧友達の日々に触れる旅。

ゆるりとすれちがう船同士のような
対岸に見える島を臨むような
ちょうどいい距離感

こういうのなんだか心がぶ厚く膨らんであたたかな気持ちになる。




帰ってきたら、いく前に神山の東谷さんから届いていた柚子の薫りが部屋中を満たし、むかえてくれた。


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そして、帰ってくるといつも真っ先に近所の農家のおばちゃんのお店へいく。


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パンを捏ね、カボチャのポタージュスープを作り、珈琲を煎れる。
そんなふうに、ゆるりと自分の日常を動かす。


。。。。。

しばらくして湯たんぽを購入。
やっぱりいままでつかっていたものと同じタイプのトタン製。
macをデスクに戻し、椅子に座って机に向かい、私は私だけの深みに潜り込み妄想の世界をひろげはじめる。

その世界は、点ではなく線。
さまざまな領土を貫く線。


雨の音が心地よい夜、
本当、このままこの深みにずっと居られたらいいのに。


「きみが夜、空を見上げると。あの星の中の一つにぼくが住んでいるんだから、その星の中の一つでぼくが笑っているんだから、きみにとっては全部の星が笑っているようなものだ。きみは笑ったりすることができる星を持つことになるんだよ」

星の王子様より




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2009年11月25日

2009年11月18日

あさごはんのフォークロア

美味しい食べ物はいつだって半径100メートル圏内にある。

先日近所の農家のおばちゃんのおみせでまんまるな蕪と目が合う。


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大好きな里芋もならんでいたので、かぶと里芋のポタージュスープをつくる。

先日の天下市で、ひかりちゃんたちの学校の遊が販売していた青森の林檎があまりにも美味しかったので、最近林檎にはまっている。

林檎の皮や芯はすばらしい酵母になる。
その酵母をつかってパンが焼ける。
方法は門外不出(嘘)

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ということで、今朝のご飯は
林檎の酵母パンと蕪と里芋のスープ、アキリカ焙煎珈琲と林檎付き。
(今朝のひらめきブレンドはコロンビア、カテマラ、マラウィ、マンデリン、笑っちゃう組み合わせだったけど、なかなか絶妙)


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奥でひなたぼっこの猫付き。

。。。


ヒエを食べ、アワを食べ、ダイコンを食べ、あるいはサトイモを食べるという食生活は、平地で米を食べる生活に比べるならばやはりあまりよいものではない。米がみんなにとって魅力ある食べ物であるはずです。
それならばなぜ山間に多くの人が住んで、そういう米以外のものを食事にして生活したかというと、人間は食うためだけに働いているのではなくて、働くために食うものだということです。
例えば狩りをおこなう。これは肉を食うことも大事であったでしょうが、肉を食うよりも皮をとることがたいへん大事なことであった。

....

二百数十年の間、外国に頼らないで生き続ける事ができたということは、食糧を自給したからだったのです。
(中略)
イモが入ったことで西日本、だいたい大阪あたりから、九州までのあいだサツマイモの多くつくられたところでは江戸時代に人口が増えていっております。
江戸時代の人口というのは、亨保のころまでは増えてきています。
ところが亨保の飢饉を境にして、全般的には人口がふえなくなるのです。これは一つは産児制限のためでした。とにかく人が多すぎるから飢饉が起こる。だから飢饉をおこしてはいけないというところから産児制限をはじめる。そのため幕末まで、ほとんど東日本では減少ぎみでさえあったのです。
しかし西日本のさつまいもをつくったところでは、亨保から明治の初めまでのあいだに二倍三倍とふえたところは少なく有りません。そして人がふえていくということで新しい職業が発生していきます。

....

発酵させることによって味がよくなるということを、われわれは早くから知っていたのです。とくにでんぷん類発酵する能力をもっている。そこで日本では、できるだけ色んなものを発酵して貯蔵する。
発酵させるためには空気が必要になりますが、その空気の量もできるだけ制限されることが大事になってきます。そこで壷をつくる。日本は壷が非常によく発達した国です。

いずれも「日本人と食べ物」宮本常一


。。。

食べる事。
考える事。
そうして目の前のことを選んでゆく事。
私たちが食べ物とともに営んできた日々に思いを馳せながらの朝ご飯。
posted by akirika at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年11月17日

冬キタ?

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にゃんこ先生専用ホットカーペット導入。

枕元には相変わらず2005年ヨコトリの安倍さんの毎日森ぬいぐるみ。

足の指がにゅーっとひらいているのは気持ちいい証拠
posted by akirika at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日のにゃんこ先生

2009年11月04日

ぐるりのこと

最近本気で冷え性を改善すべく腰浴を実行中。
ここのところのそのお供は「ぐるりのこと」梨木香歩 著

いつもなのだけれど、彼女の著作からは、彼女の声が聞こえる。
それは「りかさん」のりかさんであったり、「沼のある森を抜けて」の久美であったり...

ゆっくり噛み締めるように読みすすめる。
丁度一つの話が終わる頃には汗がびっしょりで、また明日ねと本を閉じる。

今日とうとう最後の章を読み終えてしまった。

この時間はもう二度とない。寂しいというよりもこの時間を通過した清々しさ。
彼女のぐるりのことへのまなざしは私の奥の方で震えていることを醸造してくれた。

群れの境界に足を引っかけて、どっち付かずの気持ちのまま、ノスタルジックな小説が書きたい、とおもうようになった。
「ぐるりのこと」より


心に刺さったものは抜けてしまうまで刺さらせておけばいい。

私は私のぐるりのことをふるふるとふるわせながら、一つだけの場所という物語を、紡ぎだしたいのです。

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2009年11月02日

他者/思索の彷徨

「アイ・ウェイウェイ展 ― 何に因って?」
森美術館


整理整頓されたとても分かり易い展覧会。
民族、歴史、国土
コンセプトが数学的に掛け合わせられて、解答として作品が組み立て出される。

展望台からの東京タワーが今日は不気味だった。

。。。

河口龍夫展 言葉・時間・生命
国立近代美術館



とても見たかった展覧会。
個へ自分自身の確信へ向かう事の奥の方には社会と繋がるへその緒があって、作家はやはり当たり前に一人の日本人で社会人である事。
無力であり、でも逞しく勇ましく。

ファンタジー

そう、日常のすごそばには、つねにその存在があるのです。

。。。

稲垣真幸 「独釣」
Switch point


久しぶりに稲垣くんの作品を見た。
淡々と愉快な平面たち。
愉快さが以前より軽快で、リズムが画面に現れては消えまた現れる。
ずいぶん本人に会っていないけど、お元気でしょうか?

。。。

丹羽陽太郎 「あるとき窓の隅へむかい、多分それから格子戸の背後、鏡の背面へ」
Ongoing



ベルリン在住の丹羽くんの展示。
搬入に没頭する数時間前に吉祥寺で再会し、短時間だったけど、なんだか濃い話をした。内容はよく覚えていないのだけど、それは今から作品をつくり出す前の決意表明のような、そんな風に受け取った。

先日作品のある空間の中でゲストスピーカーを迎えて本人抜きのトーク。
搬入を手伝った二人の話を伺いながら、なるほど、かれは真っ向から彫刻をつくろうとしているのだと、確信めいた事が私の中にはおりてきて、なんだか自分勝手に腑に落ちる。

話は少し反れるけれども、彫刻家の多和圭三氏がその作品を「制作」している光景は、誰もが心を奪われる。
通称「牛殺し」と呼ばれる柄の長い玄翁を大きな鉄のかたまりに振り落として鉄のかたまりに痕跡を残す。
一度、私は多和氏に「制作するところを他者に見られたいものですか?」と聞いた事がある。
氏は即答で「見られたくはない」といった。
なるほど、あの美しい行為は、彼にとってはただただ素材と対峙している時間であり、その行為はアクティビティではない。

丹羽くんの空間にたたずんでなぜだか多和氏の作品を重ね合わせていた。

。。。

「night 」中村綾緒作品展
[1号室|2号室]



美しい絵画のような光の痕跡。
わがままいって光を変えてみさせてもらいました。
贅沢。

綾緒さんに
今は骨休み中なんですねと言われる。
いやはやそのとおり。

。。。

清水敏男氏トーク「アートから見る人間と自然環境の関係」

妄想が、確信に。

。。。

秋...

みんなが冬にはいるまえに思いの丈を叫ぶ季節
とは友人 さっちゃんの名言。
posted by akirika at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会
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