先日近所の農家のおばちゃんのおみせでまんまるな蕪と目が合う。

大好きな里芋もならんでいたので、かぶと里芋のポタージュスープをつくる。
先日の天下市で、ひかりちゃんたちの学校の遊が販売していた青森の林檎があまりにも美味しかったので、最近林檎にはまっている。
林檎の皮や芯はすばらしい酵母になる。
その酵母をつかってパンが焼ける。
方法は門外不出(嘘)

ということで、今朝のご飯は
林檎の酵母パンと蕪と里芋のスープ、アキリカ焙煎珈琲と林檎付き。
(今朝のひらめきブレンドはコロンビア、カテマラ、マラウィ、マンデリン、笑っちゃう組み合わせだったけど、なかなか絶妙)

奥でひなたぼっこの猫付き。
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ヒエを食べ、アワを食べ、ダイコンを食べ、あるいはサトイモを食べるという食生活は、平地で米を食べる生活に比べるならばやはりあまりよいものではない。米がみんなにとって魅力ある食べ物であるはずです。
それならばなぜ山間に多くの人が住んで、そういう米以外のものを食事にして生活したかというと、人間は食うためだけに働いているのではなくて、働くために食うものだということです。
例えば狩りをおこなう。これは肉を食うことも大事であったでしょうが、肉を食うよりも皮をとることがたいへん大事なことであった。
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二百数十年の間、外国に頼らないで生き続ける事ができたということは、食糧を自給したからだったのです。
(中略)
イモが入ったことで西日本、だいたい大阪あたりから、九州までのあいだサツマイモの多くつくられたところでは江戸時代に人口が増えていっております。
江戸時代の人口というのは、亨保のころまでは増えてきています。
ところが亨保の飢饉を境にして、全般的には人口がふえなくなるのです。これは一つは産児制限のためでした。とにかく人が多すぎるから飢饉が起こる。だから飢饉をおこしてはいけないというところから産児制限をはじめる。そのため幕末まで、ほとんど東日本では減少ぎみでさえあったのです。
しかし西日本のさつまいもをつくったところでは、亨保から明治の初めまでのあいだに二倍三倍とふえたところは少なく有りません。そして人がふえていくということで新しい職業が発生していきます。
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発酵させることによって味がよくなるということを、われわれは早くから知っていたのです。とくにでんぷん類発酵する能力をもっている。そこで日本では、できるだけ色んなものを発酵して貯蔵する。
発酵させるためには空気が必要になりますが、その空気の量もできるだけ制限されることが大事になってきます。そこで壷をつくる。日本は壷が非常によく発達した国です。
いずれも「日本人と食べ物」宮本常一
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食べる事。
考える事。
そうして目の前のことを選んでゆく事。
私たちが食べ物とともに営んできた日々に思いを馳せながらの朝ご飯。