2009年12月31日

大晦日

今日は大晦日。

ここのところの東京は空が澄んでいて、星空がとてもきれいです。
青年団のお兄さんたちが「火の用心」と楽しそうに、少しやけくそになりながらの夜警。
私はその声に頼もしさを感じ、部屋でぬくぬくしています。
年の瀬の清々しさ。
にゃんこも冬毛ですっかりもこもこです。

今宵は満月、朝方には部分月食があるのだそう。


そして明日は元旦。

この一日に特別なことを感じてしまうのは子供の頃からかわりません。

さて、新しい年、どんな年にしてゆきましょうか。
考えるだけで、わくわくします。

みなさま、どうか健やかな年をお過ごしください。


年の瀬にゃんこ.jpg
posted by akirika at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年12月29日

堂々めぐる

落ち着いた光の代官山を抜けて
ひらひらと女の子たちが宙に浮いている渋谷を急ぎ足で抜け
平然とした普段の顔の母親たちが忙しく用事をすませる富ヶ谷で我に返り
年末の代々木八幡に居場所はなかった。

森が呼んでいる。

明治神宮はハレの日の準備で慌ただしく
私は木々の隙間に紛れ込むように逃げ込む

..................

杣(そま)とは森に対する古い名称のことである。
杣にはあまたの径(みち)があるが森のなかで草木に覆われて見えなくなってしまっている。
草木に覆われた森の道はどの杣径も離れた別の経路を走り、それぞれが違う径である。
しかし、そのそれぞれの杣径は同じ森のなかを走る道なのである。
森のそのひとつの径に彷徨ったとき、偉大なる森全体の意識を全神経で感じるべく神経を尖らせる。
そしてそのことによって森の源泉を知る事になる。

...

森1.jpg


つかの間、自分だけの今日の森に彷徨い
どんな顔も持ちたがらない西新宿へ。

...

これらの径の心得があるのは、杣人たちであり森番たちである。
杣径を辿り径に迷うとはどういうことであるのか、
熟知しているのは彼らなのである。

ハイデッガー Holzwege より


...

彷徨った径ですれちがった景色
それらはすべてそれぞれの日常で、つつましやかな営み。

...

努めなければならないのは、自分を完成することだ。
試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じ合うことだ。

サンテクジュペリ「人間の土地」より



森5.jpg
posted by akirika at 00:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々

2009年12月05日

食べることをたのしみつくすこと

9月から狙っていた花梨。

気がついたらまったく脚立にのっても届かないところだけぷりぷり黄色いのが残っていて、それをどうしても穫りたいとずっと言っていると、YさんがT型の大きな定規の直角部分にカッターの刃を装着したすばらしい道具をつくってくれた。
しかもちょっとYさんの作品っぽい。

秘密兵器.jpg


黄色くてつやっとした花梨。

神山から届いたゆず。

これらを余すところなくおいしい保存食をつくるのが今回のお題


ゆずこしょう.jpg

柚子胡椒


ゆずピール.jpg

柚子ピール


柚子茶とカリンジャム.jpg

柚子茶と花梨ジャム


柚子化粧水.jpg

柚子化粧水


かりんはちみつ.jpg


花梨はちみつ。ほかにも柚子ぽんや柚子酵母、柚子味噌も....

黄色い実煩悩成就。


。。。。。

食べることをたのしみつくすこと
それはもう、本気で食べること。
日常のでこぼこを骨の真ん中で感じるような

そのでこぼことは、人と人との繋がりであったり、自分自身の記憶であったり。

擂り粉木で柚子と青唐辛子をひたすらごりごりやりながら、少し前に聞いた賭場で働く栃木さんの話や、いのちのたべかたのことを思い出していた。


。。。。。


「ちゅんかいならいー」

先日沖縄に行った時に知ったうちなーぐち。

沖縄では昔はどこでも家庭でヤギを飼っていたそう。
お祝いや祭りの席で、手塩にかけて育てたヤギを振る舞う。
それを絞めるときに、絞める人がヤギの耳元でこうささやくのだそうだ。
絞めたヤギは文字通り骨の髄まで食べ尽くされる。


やまとことばにすると

「人間になろうねー」


。。。。。


アキリカさんの食べ物は、五感を刺激する

今日、沙羅にそんなことを云われた。



posted by akirika at 22:30| Comment(3) | TrackBack(0) | 日々
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