
雨の日の日曜日、沖縄の海から電話がかかってきた。
風の音(受話器にぶおーぶおーとあたる音)と遠くで子供が遊ぶ声。
抜けるように青くてひろい空。
脳内に、ミイバルビーチのあのぬるりとした空気が漂う。
平和であることの、あたりまえさと、尊さと、その代償を、
電話を切ったあと雨が降る東京で、ぼんやりと考える。
丁度その頃、私たちの国の首相が、ヘリコプターでその島に降りてきていた。
。。。。。
少し前に、あることをきっかけとしてウェブ上で知り合った
徳島のかわいこちゃんと小豆島に唯一あるファミレスで
5時間ぶっ通しで話をした。
今おもえば、沖縄の話から、宮本常一の話、カレーの話やら、
なんだかよくわからない話ばっかりだったけれども、
彼女は私をまっすぐに見て、かわいらしく笑い、
そして時々目をまっ赤にしていた。
お互いの日々のダウンジングとそこからわき起こる想像力。
それがぶるぶると振動し、いつのまにか伝わって、出会いに繋がった。
私たちを出会わせたのは、古里を、この島のことを思う気持ち。
そのことがただただ嬉しかった。
。。。。。
島
その海から突き出た陸地は、人を向かい入れ、
人々はそこで暮らし始め、営みは社会を生み出し、
やがて政治によって人々の営みは保障されてきた。
。。
ひとつの島が無人島でなくなるためには、
なるほど、単に人が住むだけではたりない。
島にかかわる人間の運動は、人間以前の島の運動をやり直す。
もしそれが本当だとしたら、人々は島に居着くことができるが、
そこはなお無人であり、なおいっそう無人になる。
(中略)
島にやって来る人間たちは現実に島に居着き、
そこに住民を増やす。
しかし、本当は、もし彼らが充分に分断され、
充分に創造的であるのなら、彼らはただ島に、
島自身についてのひとつの動的なイマージュを与えるだけだろう。
島を生み出した運動についてひとつの意識を与えるだけだろう。
その結果、島は人間をとおして、ついに無人の、
人家のない島として自意識を持つに至るだろう。
Gilles Deleuze /無人島より