
友人から、とてもパワー溢れる写真が送られてきました。
伊勢神宮からのご来光。
天照大神。
今年のお正月は何処に出掛けるでもなく、張り切って初詣に行くわけでもなく、近所の田園地帯をひたすら散歩(遠足?)したり、図書館で借りてきた本を読んだり、頼まれたテキストを書きはじめたり、過ぎた時間と迎える時間のことをゆっくりと静かに考える贅沢な時間を過ごしています。
。。。
年末にCAMPのイベント現在のアート<2010>で私が自分の話す内容として掲げた言葉
「アートは地域を活性するの? 地域社会におけるアートプロジェクトと路地と人のこと。」
それに反応した、旧友の宮城潤がブログで自分の思いを述べてくれていています。→
宮城潤のブログ
その1ということなので、その2をたのしみにしています。(笑)さて、私自身のことをというと、まず「美術」というフォレームのない場所で、その行為や物質らは「美術」になり得るのだろうか?という自発的な問いが、ホワイトキューブから離れ、東京に住まいを構えながらも、住んでいる場所とは違う地域でプロジェクトをおこなうという行動に繋がってるようです。
そのきっかけは2003年の静岡県立美術館の展示であり、wanakio2005での出来事だったと思い返しています。東京に住むということに特にこだわってはいませんし、居住地域と違う場所でプロジェクトを展開させるということだけを狙っているわけでもありません。
でも東京に居るのはこの街の路地裏に佇んでいる都市におけるローカリズムが孕む温度がどうしようもなく好きみたいなのです。
何処に居ても土地を歩き、出会い、様々な方法で何かを興す存在、アーティストとはそういう存在だと思っています。
そしてその行為は思想や規律に基づいているのではなく、感覚や本能に導かれ、ひたすら消費へ向かう日々の営みではなく、生産への予感のする消費に向かう日々への行為なのであれば、私たちの営みはネゲントロピーと成り得るのかもしれません。
その考え方を踏まえたうえで、
今様々な地域で、地域を活性することの一つのテクネーとして美術が選択されている事について、それは一つの可能性であり、希望だと私は敢えて云いたいと思っています。
ただ、地域を活性するのはアーティストという存在ではない。
私が「路地と人」に辿り着いている理由はこの事にあるのかもしれません。
逃げ込んだというほうが、正しいのかもしれません。
(それは負のイメージではなく、動物とは、本能的に生きることを意識したとき、まずいと思う場所から逃げるものだと思っています。)。。

「路地と人」は「部屋」です。
言水さんが路地と人を立ち上げた当初に言い放ったこの言葉はとても面白くって。
たしかに「路地と人」は時間と空間と現象と物質と関係を内包している。
人が路(みち)を歩きたどり着き、一時的に留まる「此処」という「場所」。
そして私はその「此処」という「場所」を派生させてみたいのです。
ミツバチ、あるいは販女。。

今年、
AAF2011に参加し「販女(ひさぎめ)プロジェクト」を展開します。
出会いたい人に、場所に、現象に、会いにいきます。
お会いできたらどうぞよろしく、一緒に楽しくやりましょう。
そして、みなさま今年も健やかな日々を。
posted by akirika at 20:50|
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