2011年04月20日

椿に呼び止められる

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「今朝ね、もう最悪だったんだけど、”そんなこともあるよ”って、そう椿によびとめられてね、振り返ったら、あまりにも椿がきれいだったから、それでまぁいいかって。」


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美しい椿と目が合って、何故だかもう何年も前の友人の言葉を思い出していた。


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気がついたらそこは春の森で


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樹々は待ちかねた様に春にを迎え夏へむかっている。


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私は首に巻いたネックウォーマーのあまりの場違いさからそれを外し、桜のなかに入るんじゃないかというくらい眺めていた。


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娘「この桜の木はちっちゃい子ですねー」
父「○○ちゃんとどっちか大きくなるのかなぁー」


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桜はこのときとともに、二人にとっていつまでもお腹のそこにある愛おしい記憶になるんだろう。


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夜、友人からのメール。心に突き刺さるテキスト。

「あの偉大な破壊の下では、運命はあったが堕落はなかった。無心ではあったが、充満していた」坂口安吾 堕落論より


そう、私たちはなんら失望なんてしていない。

種を蒔こう。
そうして、育てて、愛でて、収穫して、食べて、また蒔こう



posted by akirika at 01:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2011年04月19日

追記あり:小冊子「堂々めぐり」にまつわる3つのおしらせとおまけ

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2006年に言水さんと一緒につくった小冊子「堂々めぐり」
2003年〜2006年までの出来事や日々の雑感を年代は無視して月日ごとに並べたこの冊子。
恥ずかしくなったら、すぐに封印しようとおもっていたのですが、未だ封印にいたっておりません。

その小冊子「堂々めぐり」をグラフィック社発行、石川理恵さん著の「リトルプレスをつくる」GO! LITTLEPRESS に取り上げていただきました。
企画から、流通までの様々なケースを丁寧に紹介しつつも、石川さんの視点で集められた素敵なリトルプレスのラインナップたち。
読んでいたら、もうすぐにでも小冊子つくりたく一冊です。

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。。。

そして、SHIBUYA PUBLLISHING BOOKSELLERS にてリ今日から開催のトルブックスフェアに「堂々めぐり」も並べていただいています。

【4/11~5/8】SPBSが選ぶ「リトルプレス100」


ンデマンド出版や"ZINE"カルチャーの盛り上がりで、すっかり身近なものとなった「リトルプレス」。出版物を発行することの敷居が下がったことで、さまざまな種類の”冊子”が世の中に出回るようになりました。SPBSでは、その多様なリトルプレスの中からよりクオリティの高い100タイトルのリトルプレスをセレクトし、販売いたします。

これだけ多彩なリトルプレスが一堂に見られるのはここだけ。マスな雑誌や出版物にはないマニアックでディープな魅力あふれるリトルプレスの中から、あなたのお気に入りを発掘してみませんか?

※「リトルプレス」とは…自分ひとりで、もしくは仲間と一緒につくる、小冊子のこと。大手の流通を通さずに販売していく、インディーズスタイルの出版物のこと。

★期間終了後も売上金額の合計上位20タイトル+SPBS推薦枠2タイトルをSPBS店頭にてその後6か月間常設販売します。


■会 期:4月11日(月)〜5月8日(日)
■場 所:SHIBUYA BOOKSELLERS

同じ店内では美篶堂さんのフェアも開催中。
美篶堂さんの製本って美しくて手に取ると背筋がぴりっと伸びる感じ。
大好きです。

そして
手紙舍さんでの「紙ものまつり」にも参加させていただきます。

[紙ものまつり]
日時/4月27日(水)〜5月1日(日) 11:45〜18:00
場所/手紙舎

盛りだくさんな企画を予定のようです。
詳しくはサイトで。。


。。。。

おまけは本がらみで、

友人で社会学者の吉澤弥生さんが研究のために昨年おこなっていたインタビューをまとめた冊子を先日受け取りました。
白と黒の美しい冊子。
そこにはひとりひとりのいまを生き抜いている景色があります。

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紙と文字
それはまるで
土地と人の営みの関係のようで

いま、出掛けるときに鞄に入れて、電車の中で読んでいます。

。。


堂々めぐりは路地と人(神保町)言事堂(那覇)でも販売しています。500円(税込み)
吉澤弥生さんの冊子は安岐が数冊持っています、ご希望の方はご連絡ください。
posted by akirika at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | おしらせ

2011年04月12日

demo

高円寺で反原発デモ・15000人

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デモ活動では、特に目立ったトラブルも無く、
社会の注目を集められれば一応の成果といえる。
更に加えてそれら主張が周囲に認識され、
それらが他人にも受け入れられたのであれば、
目的を果たしたといえる。
(Wikipediaより)



..

祝祭の場所。
人々の今この現状への感情が昇華し、場を生む。
例えば江戸時代の百姓一揆は、こんなだったのかもしれない。
列の只中でぐるりと見回しながらふと思う。
去年の夏の、阿波踊りを思い出していた。

そして、
声を上げる人、楽器を奏でる人、踊る人、
わたしたちの安全を護る人、歩道から一緒に歩く人、歩道橋から手を振る人、遠くから眺める人....
.....を眺める。

私たちは誰に対して「抗議」しているのだろう、訴えかけているのだろうと。

そのことは前から考えていたことなのだけれど、
それは「大衆」なのではないだろうか、
自分を含めた、憎むべき大衆。

デモは祝祭の空間で、それは正しく祝祭の場だった。
それを踏まえて、タノタイガのブログで綴られていることも、確かにしかりだとも思う。
東北の現状とあまりにもかけ離れたここでの祝祭の場。
今あの現場で日夜瓦礫や泥や悪臭と戦っている人がいることを思いだしてやり場のない感情もわいてきていた。
泣き出しそうなくらい、、、いや泣いていた。

それでも今、私は共有することが必要だった。
それは様々な視点でこれからのわたしたちをイメージしていくことに繋がっていて、うまく言えないのだけれど、本当に先は長いし、単に思想だけでも、そしてそこに思想が全くなくても、だめなんじゃないだろうかと。

今でも大きな余震はある。
揺れた後の不安感。
あの場所がこれ以上ダメージを受けない様に祈る様な気持ち。
この気持ちはきっとかなり今共有できている。
だからこそ、これからの工夫もみんあでアイディア出し合って創造できるんじゃないか。
だから、今だったらあの大きくて危なっかしいモノを本当に停められる。


...

あの日から数日経って考えている事は
あの場所に居合わせた人はみな共犯者だった。
私たちの列をひたすら警護していた彼らもまた、心の底で同じ言葉を叫んでいたのだと。
南口について、我に返った表情を見たときに、そう感じた。



原発反対 
子どもをまもれ

原発反対 
未来をつくろ



posted by akirika at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2011年04月05日

日々

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みなさん、それれぞれの場所で、それぞれにおげんきでしょうか?
私は今花が美しく咲き乱れ、空は青く光り、山は静かに美しい、そんな場所に居ます。

この一週間、地域ーアートということへの問いを、再考する試みを、あるコミュニティで実践していました。

アートで今出来ること、そんなことを言ってしまうつもりはないのですが
それでもなにも出来ないのであれば、アートは要らないんじゃないか、私が日々挑戦していることはそんなくだらないことだったのだろうか?そんなことを考え続けています。

。。。


ある感情について
私はその感情を出来るだけ客観視し、そうして表現しているつもりでした。
しかしながら、実のところは根源にその冷静な生き物の反応としてのその感情というものが
あるのかもしれない。
そして、その感情によって脈々と紡がれてきた美しい連鎖としての表現に、私は憧れ続けてきたのかもしれません。


そもそも、アートという言葉すら発してしまうことを、ここ数年避けていて、多分それはこれからもあまり変わらない。
しかしながら、先日とある友人から「お前はそろそろそのアートということばを正しく発するべきなんじゃないか。」と、いう言葉を投げかけられて
今心に深く深くささって抜くことが出来ません。

ありがとう、親愛なる人々よ。


。。

抗うことのできない暴力とそれに対する正しい怒り
そのことから発生する創造性をともなった美しい生産。

私が憧れて、愛してやまないのは、その現象。





  






posted by akirika at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々
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