階段を上がって目の前の棚のくすんだ黒い器に惹かれる。
近寄って手にとってみると、遠目にはわからない艶。
その日は一目惚れをさますように一度手放す。
それでもやっぱりきになったので翌日再会しにいく。
お店の人に作家さんの事や、土や釉薬の話を聞きき
小一時間遠くで眺めたり、手に取ったり棚に戻したり。
まるで好きになった人と話をしたり、すこし離れてみたりするように。
そうして、少し細長い、掌ですっぽり包み込むことができるその器を、これからの珈琲のつれあいに、と、つれて帰ってくる。

考えたら、銀木犀の香る時期に、やっぱり黄色い鳥で小泊さんの器をつれて帰ったのは二年前。
黄色い湯のみは、しっかりと私の日々の垢を付着させつつ、少しずつ貫禄を持ち始めている。
この器を手にしたときの自分の心情を思い出すたびに、
いま自分が見ている景色について、否応なくあの頃の自分と今の自分が問いかける。
そういうお茶の時間はぴりりと背筋が伸びる。
音の無い冬の朝のような静かな緊張感。
..
ああ、しづかだしづかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸博った希望は今日を、
厳めしい紺青となって空から私に降りかかる。
中原中也「春」より抜粋
こんなはずじゃなかっただろ?
歷史が僕を問いつめる
まぶしいほど青い空の真下で
真島昌利「青空」より抜粋
..
幾度となくおりてくる中也の詩と、そして今を胸博った希望の日々によく聴いていた唄。
青森からの新幹線の車窓より、流れる景色を眺めていたら、高校生の頃、名古屋へ通っていた頃の新幹線の車窓から景色と重なりました。
。。。
自宅に戻ってきて一週間。
我が家は当たり前に自分の居場所である事を実感しつつ、
この場所がある事のありがたさを噛み締めています。
この半年あまり見てきた景色と
そこを通過してたどり着いた此処の景色を咀嚼し、
いまは自分を鎮め、腑にある世界を見つめています。
