
瀬尾さんと小森さんとは多分5月頃仙台でばったり知り合った。
経緯はよく知らないのだけど、彼女たちは二人で東北の被災している地域を映像をとりながら話を聞いている。
一度だけではなく何度も通っている。
彼女たちがどんな景色を見てきたのだろうと、それをご飯を食べながら聞く事もできるのだけど
もっと距離のある関係で聞いてみたくて報告会会場の3331へ。
彼女たちの話を聞きながら、自分自身が見ている景色、そしてなぜだか昔通っていた老人ホームで知り合った「岩井さん」のことを思い出していた。
。。。。。
私はその老人ホームで働く友人に、折り紙を一緒に折る、ボランティアをやってみないか?と誘われていったのだけど、
途中からはそれは口実になっていた。
そこで知り合った岩井さんと私は同じ干支で、長崎生まれそだった岩井さんは私の年齢と同じ年の頃、長崎で戦渦に遭っていた。
被爆は免れたものの、それは大変だったと、そんな話をしたかと思うと、
もっと若い女学院通いだった頃のこと、東京に嫁いできて旦那さんと幸せだったこと、息子を先になくしてしまったこと、そんな話が、時代を交差して入り乱れつつ、私にぽつりぽつりと話をする。
あるときひまわりを折っていて、ちゃんと飾りたいから茎のための竹串が欲しいと云った岩井さんに100円均一で買ってきた竹串の束を手渡した。
彼女はそれをみてめをまんまるにして「そんなに沢山つかえない、もったいない」と。
私はすかさず、「でもこれ100円だから」と云うと
「1本しかつかわないのに、もったいない。」と...
そこから気持ちが動けなくなっているのを見て、
私ははっとしてしまった。
それからも多分10日に一回は岩井さんのところに通っていた。
通い足りない気持ちとともに、彼女の日常に私が深くかかわる事も、少し恐れてもいた。
その後岩井さんは入院し、告げられていない自分の病気の事も充分気がついていて、孫や親戚に云えない気持ちを絞り出すように打ち明けたことがあった。
「長崎に帰りたい」と。
もちろん私にはどうしようもできるわけでもなく、彼女はその後数日後に他界した。
私たちはどこまで先に進んできてしまったんだろう。。。
ものすごく寒い日に初めて伺う岩井さんの自宅で
静かに眠る彼女の亡がらを見つめながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。
。。。。
先日岩手の野田村に再び訪れた。
そこのとある仮設住宅で、小さな窓からずーっと外を眺めているおばあちゃんに知り合った。
彼女の話は、津波のこと、嫁いできた頃の話、今のお嫁さんが大事にしてくれている話、子供の頃塩づくりのために薪を集める話
そんな彼女の見てきた景色が交差する。
そうして、「たのしいことはこれっぽっちもなかった」とくりかえしくりかえし何度も云う。
そのこと私には聞くだけしかできない、
けれども、聞くことだけはとことんつき合おうともおもっている。
彼女の「たのしいことはこれっぽっちもない」状況を私の力でどうにかしよう、とか、彼女たちのために何かしようというのとは、少し違っていて、ちゃんと一人の人間同士としてつき合いたいし、そういう意味では私ができる事は彼女と当たり前につき合っていきたい、と思っている。
それは野田村に関わらず、すべての出会う人たちと。
そんなことを瀬尾さんと小森さんの話を聞きながら考えていた。
努めなければならないのは、自分を完成することだ。
試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じ合うことだ。
サンテクジュペリ「人間の土地」より瀬尾さんと小森さんの見てきた景色の話
http://komori-seo.main.jp/
posted by akirika at 01:32|
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