
展覧会が終わった翌日に搬出をし、そのまま新幹線と船を乗り継いで西へ。
今は瀬戸内の島の豊島に居ます。
ばあちゃんが住んでいた家を片付けて、住み始めて一週間くらい。

こっちでも、ちゃんと珈琲だけは飲めています。

目的は今年の始めにたちあげた「てしまのまど」を始動させ、9月に催しをおこなうためではあるのですが、その先には私自身のこの島の事を感じ、自分自身の表現へと向かいたいという欲求が在るのだと思います。
歩いたり自転車に乗ったりして歩き、話しをし、ゆっくりと、此処の暮らしに耳を傾けている。
ときどき案の定、野菜をいただいたりして...

夜になると、訪れた人のほとんどは船で島を去り、人の営みは静まり、そして虫や生き物や風の奏でるオーケストラが始まります。
その事で、否応なくここが島であることを感じ、そうしてそのことに自由な気持ちになったり、寂しくなったりしています。

先日高校時代の同級生に多分卒業以来再会し美しすぎる夕日を見ながらいっていた言葉が、この島の人々の遠くを眺める視線に含まれる切なさのようなものと交差し、そうして私自身が今ひきあててしまっていることとも交ってしまった。
今、この島にたどり着いてしまっていることを、ゆっくり咀嚼しています。
。。。
てしまののまどの合宿は9月22日と23日を予定し、今プログラムを構築中です。
それぞれのこの島への視線からひらくまど、そのしまのことを見つめ、伝えることは、
どんな方法だってメディア=媒介でありえると思うのです。
島にはいろいろな事があります、いろいろな人が住んでいます。
そのままのことを、そのままの状態で、開きたい。
だって、此処に居る私はここのことも、そちらの事も、多分引き受けながら生活しているはず、知らない間に。
だったら知りたいし、知ってもらいたい、当たり前に。
そう思うのです。