
気がついたら窓から見える田んぼの稲刈りが始まっていて。
土地に根付いた営みと剥離してしまっている自分は相変わらず変わらない、だけれども、4年前、レジデンスで滞在した神山では、ものすごく疎外感を感じたことを、なにか対岸の灯りのように眺める自分が居る。
なんというか、自分の土に着くやりかたを、言葉ではうまくいえないけれども引き当てている。
豊島のばあちゃんちで暮らし始めてもうすぐ1ヶ月。
はやいのか遅いのかわからないけど、なんだか暮らしていることは確かで。。
この土地について、
対話と思考と関係性と労働と興味と実現したい事
それらが境目なく日々常にある。
ひとつの島が無人島でなくなるためには、
なるほど、単に人が住むだけではたりない。
島にかかわる人間の運動は、人間以前の島の運動をやり直す。
もしそれが本当だとしたら、人々は島に居着くことができるが、
そこはなお無人であり、なおいっそう無人になる。
(中略)
島にやって来る人間たちは現実に島に居着き、
そこに住民を増やす。
しかし、本当は、もし彼らが充分に分断され、
充分に創造的であるのなら、彼らはただ島に、
島自身についてのひとつの動的なイマージュを与えるだけだろう。
島を生み出した運動についてひとつの意識を与えるだけだろう。
その結果、島は人間をとおして、ついに無人の、
人家のない島として自意識を持つに至るだろう。
Gilles Deleuze /無人島の原因と理由より抜粋
posted by akirika at 14:07|
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豊島