家浦の浜の路地は狭く、コンクリートの道。
それらは古くて、至る所に積み重ねられてきた痕跡。

家を壊した空き地の隅に地主神の祠を見つける事も多い。
今は そこにないもの/そこにあったことを標すもの

そういえば、肥土山のニッキの木もかつて家があった頃の祠が建っていた場所だと、中野さんが教えてくれた。

先日、軽トラを借りに近所のおじさんの家を訪ねた。
おじさんはじいちゃんの末の弟で、おじさんに「古い写真を集めている」と話すと、古い事をしらべるんやったら、と急に堰を切ったように牛ヶ首島の涅槃像の話しをしれた。私の大祖母はその島から豊島に嫁いできたそうだ。

牛ヶ首島はかつては人が住んでいて、今は人が住んでいない。
今は住んでいた事がある時期の事を知っている人がいる。
でもいずれはその人たちも居なくなる。
しかしながら、島には大きな涅槃物の首が優しく横たわっている。
それは人々の暮らしの証だとおもう。
ーー
先日「裸の島」という映画を見た。
人が島に居着くことの、そのひたむきさと、どうしようもなさとを、小さな島で暮らすひとつの家族をとおして、静かに、繰り返し、見るこちら側に差し出してくる映画。
私はその映像詩のような画面を見ながら、ドゥルーズの無人島のテキストをくりかえしおもいつつ
数年前に見た「祝の島」という映画で、自分の畑の石段に毎日なにかを刻むじいさんのことを思い出していた。
ーー
先月、旧友のご実家からアルバムを預かった。彼女を知っているから感じられるのかもしれないのだけれど、アルバムを眺めていて、現れる記号を探しつつも、溢れてくる感情があった。
他者というその映された時間と場所に決して居合わす事が出来ない対岸から見た「家族」の豊かさと厚みの記録。撮る側のまなざしとの関係性の上に成り立つ記録。
希望に満ちた記録。
記録にはこんな豊かな可能性があるのだと、無我夢中スキャニングしていた。
それをどう共有すれば良いのか。
すべきではないのだろうという分別とともに、対岸にある親密さを担保する手法を考えている。
それが果たしてできるのだろうか?
そして日々増幅してゆく公開する事へのためらい。
もしかして知人だからためらうのだろうか?
見ず知らずの人だったらためらわないのだろうか?
例えばベルリンの蚤の市で見た古いいつかのどこかの家族の写真を眺めた感情と、いまのこの感情の違いはあまりないような気がする。
しかし公開する事のためらいについてはものすごく違う。
つまり私はなんらかの関係性のなかで写真と対峙していた。
それは単に旧友であるということではなく、私が名前を名乗り、私の責任のもとで借りてきたというところにある。
写真を借りてくる際、持ち主の方と話しをし、写真を一緒に見ながらお話を聞く、長いときには3時間くらい聞いている。その話しの中にはそれぞれの生活に対する誠実さがあり、越えてきた歴史がある。それをふまえたいのは私で、だからこそ、担保すべきことがあって、でも突き抜けたい感情がある。
ーー
そんな葛藤とともに突き抜けたさきに、古い写真を集めたスライドショーの上映会はあった。
実際上映会をおこなって、そこは伝承の場だった。(もちろんまだまだ工夫しなければならないのだけれど...)
机の上では計り知れない現場の可能性。
現場には表現の発端があって、その発端は営みのしっぽのように感じている。
私たちは誰しもが暮らしている。
そうして、今此処に有る豊かさと知恵をいつかの誰かにぶるぶると振動のように伝えたい。
その手段は幾通りもあって、それぞれに愛おしい表現なのだと感じている。
だから、このことはずっと続けていこうとおもっている。
暮らしながら、自らの営みのしっぽの先の表現を追いかけたい。
すだれを編む大祖母
posted by akirika at 00:12|
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