みなさん、それれぞれの場所で、それぞれにおげんきでしょうか?
私は今花が美しく咲き乱れ、空は青く光り、山は静かに美しい、そんな場所に居ます。
この一週間、地域ーアートということへの問いを、再考する試みを、あるコミュニティで実践していました。
アートで今出来ること、そんなことを言ってしまうつもりはないのですが
それでもなにも出来ないのであれば、アートは要らないんじゃないか、私が日々挑戦していることはそんなくだらないことだったのだろうか?そんなことを考え続けています。
。。。
ある感情について
私はその感情を出来るだけ客観視し、そうして表現しているつもりでした。
しかしながら、実のところは根源にその冷静な生き物の反応としてのその感情というものが
あるのかもしれない。
そして、その感情によって脈々と紡がれてきた美しい連鎖としての表現に、私は憧れ続けてきたのかもしれません。
そもそも、アートという言葉すら発してしまうことを、ここ数年避けていて、多分それはこれからもあまり変わらない。
しかしながら、先日とある友人から「お前はそろそろそのアートということばを正しく発するべきなんじゃないか。」と、いう言葉を投げかけられて
今心に深く深くささって抜くことが出来ません。
ありがとう、親愛なる人々よ。
。。
抗うことのできない暴力とそれに対する正しい怒り
そのことから発生する創造性をともなった美しい生産。
私が憧れて、愛してやまないのは、その現象。