










デモ活動では、特に目立ったトラブルも無く、
社会の注目を集められれば一応の成果といえる。
更に加えてそれら主張が周囲に認識され、
それらが他人にも受け入れられたのであれば、
目的を果たしたといえる。
(Wikipediaより)
..
祝祭の場所。
人々の今この現状への感情が昇華し、場を生む。
例えば江戸時代の百姓一揆は、こんなだったのかもしれない。
列の只中でぐるりと見回しながらふと思う。
去年の夏の、阿波踊りを思い出していた。
そして、
声を上げる人、楽器を奏でる人、踊る人、
わたしたちの安全を護る人、歩道から一緒に歩く人、歩道橋から手を振る人、遠くから眺める人....
.....を眺める。
私たちは誰に対して「抗議」しているのだろう、訴えかけているのだろうと。
そのことは前から考えていたことなのだけれど、
それは「大衆」なのではないだろうか、
自分を含めた、憎むべき大衆。
デモは祝祭の空間で、それは正しく祝祭の場だった。
それを踏まえて、タノタイガのブログで綴られていることも、確かにしかりだとも思う。
東北の現状とあまりにもかけ離れたここでの祝祭の場。
今あの現場で日夜瓦礫や泥や悪臭と戦っている人がいることを思いだしてやり場のない感情もわいてきていた。
泣き出しそうなくらい、、、いや泣いていた。
それでも今、私は共有することが必要だった。
それは様々な視点でこれからのわたしたちをイメージしていくことに繋がっていて、うまく言えないのだけれど、本当に先は長いし、単に思想だけでも、そしてそこに思想が全くなくても、だめなんじゃないだろうかと。
今でも大きな余震はある。
揺れた後の不安感。
あの場所がこれ以上ダメージを受けない様に祈る様な気持ち。
この気持ちはきっとかなり今共有できている。
だからこそ、これからの工夫もみんあでアイディア出し合って創造できるんじゃないか。
だから、今だったらあの大きくて危なっかしいモノを本当に停められる。
...
あの日から数日経って考えている事は
あの場所に居合わせた人はみな共犯者だった。
私たちの列をひたすら警護していた彼らもまた、心の底で同じ言葉を叫んでいたのだと。
南口について、我に返った表情を見たときに、そう感じた。
原発反対
子どもをまもれ
原発反対
未来をつくろ