
先日の路地と人での「せんだいノート」の会で久しぶりに中西レモンさんに会う。
だいたい、会うといつも、本気なのか冗談なのかわからない事を云う赤パンのレモンさん。
私が勢いで、
「今度の天皇誕生日に日光街道を歩こうよ、皇居から川を越えるまで。」
レモン
「あぁ、良いですね、良いルートだ。」
結局23日は私の都合が合わず、そして皇居と日光街道は微妙にズレているので
24日の昼下がりから日本橋から歩いてきました。
まずは「凧の博物館」
たいめんけんのオーナーが無類の凧好きだったらしく、同じビルの上の階にあります。


のっけから笑かされました。
江戸の浮世絵や文学にやたら詳しいレモンさんのゆるい解説付きで、けっこう長居する。
。。
いわゆる今云われている日光街道を歩くという訳ではなく、街道周辺の脇道をきになるほうにすすむ私たち。
土着なかんじなものでは

お地蔵さん
これは別のひに見つけたのだけど、お玉の池の跡

椙森神社。

ここと柳森、烏森で江戸山森だそうです。
柳森神社にある力石群、富士の溶岩とともにまつられていました。

柳森神社の「こて絵」

柳森神社の空間は完璧で、居心地がよい、だからかどうかはわからないけど猫が多し。


江戸山森には入っていないみたいですが、竹森神社というのもあり、ものすごく小さな空間だけど居心地がよかった。
ここの向いにある定食屋さん要チェック。次回絶対に行くとレモンさんと私それぞれこころに決める。
建物できになったのは
岩本町問屋街の銅葺きの看板建築。

公共施設の建物は、だいたいなんか無駄な装飾が多いと思います。

こういう感じ大好きです。

すこしはなれたところでも、こんな感じ。はやったんかなぁ。

あと暮らしたくなる感じの商店街は
先日、エンテツさんの古墳ナイトで話題になっていた鳥越神社のちかくにおかず横丁。

山谷のいろは横丁らへん

あとと三ノ輪橋の商店街は狭さと密集具合がいつも居心地いい。
看板できになったのが..



。。
紀州街道を歩いたときにも感じたのですが、日光街道でも大きな川を越えると、なんというか、自治の変化をかんじます。
千住大橋を越えて南千住エリアから北千住エリアに入ると、やたらと「街道」を主張するのが面白かったです。
この話は、ほかのエリアを歩いて感じたり考えたりしたことと共にその2で書こうと思います。