
ある日私はとある街のデパートの地下の食品売り場で何かを買って袋詰めしていた。
すると後ろからレジに並ぶ女性の叫び声。
レジを打つ女の人に、ひたすら遅いだのなんだのと大声で文句らしい言葉をぶつけていた。

周囲の人は最初気がつかなかったけれど、誰かが気がついて注視することで、また近くの人が気がつき、注視する、そうしてその近くの人が気がつき...その波紋がまるで風でそよぐ草のように広がっていった。

叫ぶ女性は、周囲の人たちの注視にかまわず、同じ調子でレジの女の人の目を見ず、まるで壊れた機械の様にひたすら叫びつづけていた。
レジを離れて、袋に詰めてエレベーターへ向かい階上へあがる間ずっと。

周囲の人は、叫ぶ女性が居なくなるまで、その存在に注視し、そうして声が聞こえなくなると、その地下の食品売り場はまたそれぞれに動き始めた。
それは本当に、なにもなかったように。

私は買い物を終えて階上に上りデパートから出るとき、ふとベンチをみた。
いくつか並んでいるベンチのひとつにさっき地下で叫んでいた女性が小さく座って静かにパンを食べていた。
それはあまりにも普通で、あまりにも人間的な姿だった。
わたしたちは集団の中で、なにかしらの役目があって
彼女は彼女の理由で、あの場所でのあの役目を引き受けたのかもしれないと
そんな風におもい、そしてなぜだか谷保天満宮の古式獅子舞を思い出していた。
お囃子の一定のリズムにのって舞う獅子、そして時折現れる白髪の翁は獅子の舞をまるで邪魔するかの様に割って入る。
しかし、獅子と翁はまったくふれずに、それぞれに舞う。
そんなことを思い出していた。