2012年11月04日

ここのところの

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日差しの角度がかわってきた


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あんまりにもくもがかわいかったから山から来た友人と海へドライブ


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はじめてきた場所にあやうく建つ塔で珈琲を飲む


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きれいすぎてかくれられない


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駅前の落書きはあいかわらずおかえりと云ってくれる


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風邪をひいたのでトーフのぐだぐだスープをぐだぐだたべる。










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2012年10月16日

ここのところの


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2012年10月06日

あるひあるときあるばしょで

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ある日私はとある街のデパートの地下の食品売り場で何かを買って袋詰めしていた。
すると後ろからレジに並ぶ女性の叫び声。
レジを打つ女の人に、ひたすら遅いだのなんだのと大声で文句らしい言葉をぶつけていた。


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周囲の人は最初気がつかなかったけれど、誰かが気がついて注視することで、また近くの人が気がつき、注視する、そうしてその近くの人が気がつき...その波紋がまるで風でそよぐ草のように広がっていった。


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叫ぶ女性は、周囲の人たちの注視にかまわず、同じ調子でレジの女の人の目を見ず、まるで壊れた機械の様にひたすら叫びつづけていた。
レジを離れて、袋に詰めてエレベーターへ向かい階上へあがる間ずっと。


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周囲の人は、叫ぶ女性が居なくなるまで、その存在に注視し、そうして声が聞こえなくなると、その地下の食品売り場はまたそれぞれに動き始めた。
それは本当に、なにもなかったように。


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私は買い物を終えて階上に上りデパートから出るとき、ふとベンチをみた。
いくつか並んでいるベンチのひとつにさっき地下で叫んでいた女性が小さく座って静かにパンを食べていた。
それはあまりにも普通で、あまりにも人間的な姿だった。


わたしたちは集団の中で、なにかしらの役目があって
彼女は彼女の理由で、あの場所でのあの役目を引き受けたのかもしれないと
そんな風におもい、そしてなぜだか谷保天満宮の古式獅子舞を思い出していた。

お囃子の一定のリズムにのって舞う獅子、そして時折現れる白髪の翁は獅子の舞をまるで邪魔するかの様に割って入る。
しかし、獅子と翁はまったくふれずに、それぞれに舞う。

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そんなことを思い出していた。
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2012年06月18日

6月の景色

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今年は庭の紫陽花の青がとてもあざやかで、花をいっぱいつけている。


。。。



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いつも梅を買っていた八百屋さんが閉じてしまった。
散々探して駅前の八百屋さんで今年の梅を手に入れた。
買ってきてからしばらく黄色く熟してくるまでざるにひろげておく。
そうすると家じゅうに梅のあまくてまるい薫りがひろがる。

今朝、目ざめたとき、その薫りに誘われて、
去年はなにしていたっけとか、一昨年は?10年前は?
と、通過して来たこの季節の事を、ぼんやり思った。


。。。



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にゃんこが草むらでうずくまる夕方
おとなりさんが、茂ってきたラベンダーの花を摘んでいた。
それに触発されて、私も庭を少し手入れして、
おとなりさんちの生い茂ったフェンネルやミントと、うちの生い茂った紫蘇と交換。

うえのおにいちゃんが陸上部にはいったとか、
ひかりちゃんはバスケ部にはいったとか、
台風がきているらしいね、もう5号なんだってね、とか...そんな話しをしながら...

なんてことのない会話と作業。
まっすぐになる。


。。。



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駅前の落書き 日々の希望。


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2012年06月08日

きんきょうほうこく

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「飛行機がみえた森」
昨日の夜急遽決まったヨシハマくんの路地と人でのライブ、そのやり取りのメールのなかで、ヨシハマくんが多分私の投げかけに触発されつけてきたライブのタイトル。


不意にちょっと泣く。


。。


8月に久しぶりの個展をする。
本当にものすごく久しぶりで、自分が楽しみにしすぎてヤバいのだけど、昨日ずっと考えていたことがなにかすとんと自分の視座と重なった。
いろんな土地でいろんな方々と対話する機会に恵まれている私
にもかかわらず、東京という場所で暮らす私
そんな自分が見ている景色を物語に封じ込めたい。

読みたい本や、知りたい歴史や、会いたい人や、そんなことの欲求の先には、その事物との出会いへの敬愛と喜びとそして憂いそれらすべてを表現に封印したい欲望がある。

今はその欲求と欲望に挟まれて、日々ぎりぎりなのだけれども、
そういうところにいくことのできる状況に悦を感じていたりする。

そんな感じで私はとても元気です。
個展のことはちゃんと決まったらまた改めてお知らせします。

ほかにもいっぱい報告するべき事がある気がするけど、
また次に。


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2012年04月24日

4月の景色

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2012年02月29日

山へ海へ

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もうずいぶんまえのことのようにかんじるのだけれども、すこしまえに山に数日間いました。
そこで猪を追うおじぃさんと一緒に行動していました。
まずの目的は一応「撮影」なのですが、それよりも、山のこと、狩猟のこと、そもそもそのおじぃさんが猪をおうこと、を感じたかった。
共に行動する事で知りかったんだと思います。

そうして、数日間文字通り朝から晩までおじぃさんとともに軽トラで山の中を道なき道へと、犬とともに猪を追う日々。
最初は撮影だけしていたのですが、初日にして猪に出会い、2日目には仕留めた猪をおじぃさんと一緒に運び、3日目には猪を捌くのをご一緒しつつしし汁をいただき、翌日にはまた狩りに出かけていました。
すっかり獣道のわかる女になりました。

ちなみに私は亥年。

猪を軽トラで探す間、無線の音を聞き定めながら、静かにしろくしろくおりてくる雪を見ていました。
今でも目を閉じるとその景色が浮かぶのですが、あのまま山そのものになっていたかった、というような気持ちになる景色でした。

いろんなことを猪を狩る翁との行動で引き当て、見つけてしまった。
その気付きは、表現への希望の気付きでもありました。

さて、明日からは八戸
山の民と海の民が出会い、
漂流と移動と定住とが何層にもかさなりあい発生したまちへ。

そんな机上のたわごとを吹っ飛ばす出会いがあったらなら

すてきだなー
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2012年01月23日

2012年

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なにかこう、朝から清々しく、さめざめとした気分で、暦を見たら今日は旧暦では年明け、新月。
そういったことにこだわって生活している訳ではありませんが(あ、新月は大潮なので釣れるなぁーとはいつも思いますが。)なにか、こう、自分の動物としての感覚や感情が日常の隙間にむき出しになるとき、それをあまり無視しないようにしたいなぁ、とおもっていたりします。神話に作用されることなく。

で、他の事があって、画像の整理をしているのですが、それを見返していると、年末年始も相変わらず移動していて、それぞれみた景色が面白かったので、だらだらと報告します。

。。

大晦日は、生駒山へ。
これは長年生駒山をフィールドワークしている宗教社会学者の渡邊さんと一緒に。
石上から頂上へ向かい、奈良側に下りました。
大晦日の生駒山はほとんど人気がなく、今後この登山は語りぐさになろるであろうと、ワタナビーさんと既に爆笑しつつ登山。
出発が遅すぎて、下山はまさかの暗闇のなかで、危ないのですが、面白かった(はい、もう二度とやりません。)
石上から山の際にある朝鮮寺の存在が、なんというかいとおしく美しかった。

生駒の神々とても参考になる本です。

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その後はふるさとに帰省し、自然舎のやまちゃんといきなり誘った高松の庭師の多田さんも一緒に島八十八カ所の行場巡り。
子供時分は友達と探検しつつ知らぬ間に島四国をまわっていたりすることがあったのだけど、山の観音さんは行った事がなかった。
山を登ってゆくと滝が二筋。その前にめぐったお不動さんで、熱心に祈祷するおばちゃんたちが「あそこはええで、今日あたりほんまにきれいやと思うわ」とすすめてくれたし、山ちゃんも最近見つけたお気に入りの場所。
本当に美しい場所だった。
今こうしているときもあの場所は絶えず自然の摂理に従って運動が起きている、ということを思うことで、意識が広がる。
なにか気持ちが還ることができる。

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そのすすめてくれたおばちゃんたちが祈祷をあげていた場所。
(実際に祈祷するのは少しくだったところにあるお不動さんですが...)

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それから今年100歳になる祖母がいる豊島へ。大叔父さんの軽トラを借りてドライブ。
その後この軽トラがパンクし、友人のイチゴ農家の森島さんに、年始初の森島JAF出動をいただいてしまいました(笑)
壇山には行けなかった。けど、またゆきます、スダジイの翁に会いに。

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100歳をむかえるばあちゃんは、元気でした。

。。

その後神山では、すこしインタビューと(これのために今写真を整理しているのですが)猪を犬で追って狩っている81歳の翁にお会いしてきました。3時間ぐらいお話を聞かせていただいたのですが、心に張り付いているのは「猪を狩る」という表現ではなく「山で仕事をしている」という表現。そして、20匹ほど居る一緒に仕事をする犬との精神的なつながり。

まだまだ話足りないし、翁もまた来いといってくださっているし、今後もうかがおうとおもっています。
。。

そうして、また大阪へ戻り、ついていきなり友人宅にてちやほやされ、インタビューや、去年歩いた紀州街道のきになったところをもう一度歩いたり、釜ヶ崎へ用事もないのにいったり、十日戎に行ってもみくちゃにされたり、プレオープンしたばっかりの「OTONARI」におなかぺこぺこで駆けつけて、メニューにないご飯を作っていただいて、ちやほやされたり、
中崎くんの展覧会へいったり。大阪のアーツカウンシルを作る会のシンポジウムへいったり。

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。。。


いつものごとく、あっちこっち行き過ぎてやや未整理なのですが、あっちとこっちとそっちとこっちで、人はなんかしらのよりどころをもってバラバラに集まる。
それくらいがちょうどいいなぁって。


帰って来て、路地と人で遅い新年会。
仙台に出稼ぎ中のチナツちゃん不在で一人たりないのですが、路地と人も3年目に入りました。
あいかわらず、ばらばらで、テキトーなのですが、そこがまた家族のようで...

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小さな力であり続けること。
その力はいつ、どこへでも飛び火できるちからであること。
ひろく多様なことをふまえ、故にシンプルであること。


まぁ、なんにせよ、気ぃようやります。
今年もよろしくおねがいします。

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2011年12月30日

暮れ

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年の瀬のにゃんこせんせい。

。。


日光街道を日本橋から北千住まで。
日本橋から数キロはなれた場所には皮革問屋街、肉問屋街、社交場。
いまもそれは土地にべったりとはりついた土地の匂い。
土着 ということについて考える、

漂流

ことばにするとうまくいえないけれど、人々の業のようなものは、ぐるぐると連なり連鎖する
同じ場所にとどめずに、拡散し、ほどよく忘れたい。


。。。


気がつけば今年もあと2日。
年末はやはりひとつの節目、さっきすこしだけ自分のここの記事を数年振り返ってみました。
いろんな事が起きているようで、なんにも変わっていないようなそんな気もします。
それでも、日々は過ぎていき、社会は起きることを呑み込んで、うにょうにょと変化し、時代を経てゆく。
私たちはどうにかそれに追いつこうと、いろんな事をわすれたふりをして、生きてゆく。
そうしなければ、おいてけぼりだから。

例えばしばらく仕事で自宅を離れていて、久しぶりに帰って来て、そんで散歩していたら、お気に入りの建物があっけなく、取り壊されていたりすると、なんというか、自分だけがなにかに留まろうとしているんじゃないか?とぽかーんとしてしまったりするわけで。
なんというか、間に合わないです。いろいろ。


それを留めているのが、人の記憶なのだとしたら、私はその留めている物事を、聞きたいし、感じたい。
そんな感じなので、これからも多分、相変わらず会いたい人に会いにいきます。



。。。

昨日、久しぶりに縁側に猫のナカザワさんがきました。
時々忘れた頃にやってくるナカザワさん。
わすれんなよ、って。


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..

今年もいろんな事がありすぎて、まだ消化しきれていないのですが、これから時間をかけて帰省しつつ
いろいろと見て来た景色を反芻しながら島にたどり着きたいとおもいます。

それではみなさま良いお年をー
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2011年12月27日

日光街道堂々めぐり その1

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先日の路地と人での「せんだいノート」の会で久しぶりに中西レモンさんに会う。
だいたい、会うといつも、本気なのか冗談なのかわからない事を云う赤パンのレモンさん。
私が勢いで、
「今度の天皇誕生日に日光街道を歩こうよ、皇居から川を越えるまで。」
レモン
「あぁ、良いですね、良いルートだ。」


結局23日は私の都合が合わず、そして皇居と日光街道は微妙にズレているので
24日の昼下がりから日本橋から歩いてきました。

まずは「凧の博物館」
たいめんけんのオーナーが無類の凧好きだったらしく、同じビルの上の階にあります。

凧の博物館2.jpg

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のっけから笑かされました。

江戸の浮世絵や文学にやたら詳しいレモンさんのゆるい解説付きで、けっこう長居する。

。。

いわゆる今云われている日光街道を歩くという訳ではなく、街道周辺の脇道をきになるほうにすすむ私たち。

土着なかんじなものでは

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お地蔵さん

これは別のひに見つけたのだけど、お玉の池の跡

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椙森神社

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ここと柳森、烏森で江戸山森だそうです。


柳森神社にある力石群、富士の溶岩とともにまつられていました。

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柳森神社の「こて絵」

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柳森神社の空間は完璧で、居心地がよい、だからかどうかはわからないけど猫が多し。

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江戸山森には入っていないみたいですが、竹森神社というのもあり、ものすごく小さな空間だけど居心地がよかった。
ここの向いにある定食屋さん要チェック。次回絶対に行くとレモンさんと私それぞれこころに決める。


建物できになったのは

岩本町問屋街の銅葺きの看板建築。
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公共施設の建物は、だいたいなんか無駄な装飾が多いと思います。

公共機関の建物.jpg

こういう感じ大好きです。

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すこしはなれたところでも、こんな感じ。はやったんかなぁ。

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あと暮らしたくなる感じの商店街は

先日、エンテツさんの古墳ナイトで話題になっていた鳥越神社のちかくにおかず横丁。

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山谷のいろは横丁らへん

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あとと三ノ輪橋の商店街は狭さと密集具合がいつも居心地いい。

看板できになったのが..

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。。

紀州街道を歩いたときにも感じたのですが、日光街道でも大きな川を越えると、なんというか、自治の変化をかんじます。
千住大橋を越えて南千住エリアから北千住エリアに入ると、やたらと「街道」を主張するのが面白かったです。

この話は、ほかのエリアを歩いて感じたり考えたりしたことと共にその2で書こうと思います。
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2011年12月20日

わすれてはいないこと

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瀬尾さんと小森さんとは多分5月頃仙台でばったり知り合った。
経緯はよく知らないのだけど、彼女たちは二人で東北の被災している地域を映像をとりながら話を聞いている。
一度だけではなく何度も通っている。

彼女たちがどんな景色を見てきたのだろうと、それをご飯を食べながら聞く事もできるのだけど
もっと距離のある関係で聞いてみたくて報告会会場の3331へ。
彼女たちの話を聞きながら、自分自身が見ている景色、そしてなぜだか昔通っていた老人ホームで知り合った「岩井さん」のことを思い出していた。


。。。。。

私はその老人ホームで働く友人に、折り紙を一緒に折る、ボランティアをやってみないか?と誘われていったのだけど、
途中からはそれは口実になっていた。
そこで知り合った岩井さんと私は同じ干支で、長崎生まれそだった岩井さんは私の年齢と同じ年の頃、長崎で戦渦に遭っていた。
被爆は免れたものの、それは大変だったと、そんな話をしたかと思うと、
もっと若い女学院通いだった頃のこと、東京に嫁いできて旦那さんと幸せだったこと、息子を先になくしてしまったこと、そんな話が、時代を交差して入り乱れつつ、私にぽつりぽつりと話をする。


あるときひまわりを折っていて、ちゃんと飾りたいから茎のための竹串が欲しいと云った岩井さんに100円均一で買ってきた竹串の束を手渡した。
彼女はそれをみてめをまんまるにして「そんなに沢山つかえない、もったいない」と。
私はすかさず、「でもこれ100円だから」と云うと
「1本しかつかわないのに、もったいない。」と...
そこから気持ちが動けなくなっているのを見て、
私ははっとしてしまった。

それからも多分10日に一回は岩井さんのところに通っていた。
通い足りない気持ちとともに、彼女の日常に私が深くかかわる事も、少し恐れてもいた。

その後岩井さんは入院し、告げられていない自分の病気の事も充分気がついていて、孫や親戚に云えない気持ちを絞り出すように打ち明けたことがあった。
「長崎に帰りたい」と。
もちろん私にはどうしようもできるわけでもなく、彼女はその後数日後に他界した。

私たちはどこまで先に進んできてしまったんだろう。。。

ものすごく寒い日に初めて伺う岩井さんの自宅で
静かに眠る彼女の亡がらを見つめながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。

。。。。

先日岩手の野田村に再び訪れた。
そこのとある仮設住宅で、小さな窓からずーっと外を眺めているおばあちゃんに知り合った。
彼女の話は、津波のこと、嫁いできた頃の話、今のお嫁さんが大事にしてくれている話、子供の頃塩づくりのために薪を集める話
そんな彼女の見てきた景色が交差する。

そうして、「たのしいことはこれっぽっちもなかった」とくりかえしくりかえし何度も云う。

そのこと私には聞くだけしかできない、
けれども、聞くことだけはとことんつき合おうともおもっている。
彼女の「たのしいことはこれっぽっちもない」状況を私の力でどうにかしよう、とか、彼女たちのために何かしようというのとは、少し違っていて、ちゃんと一人の人間同士としてつき合いたいし、そういう意味では私ができる事は彼女と当たり前につき合っていきたい、と思っている。
それは野田村に関わらず、すべての出会う人たちと。



そんなことを瀬尾さんと小森さんの話を聞きながら考えていた。



努めなければならないのは、自分を完成することだ。
試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じ合うことだ。

サンテクジュペリ「人間の土地」より







瀬尾さんと小森さんの見てきた景色の話
http://komori-seo.main.jp/

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2011年11月13日

日々

半年に一回くらいふらりと立ち寄る黄色い鳥器店
階段を上がって目の前の棚のくすんだ黒い器に惹かれる。
近寄って手にとってみると、遠目にはわからない艶。
その日は一目惚れをさますように一度手放す。
それでもやっぱりきになったので翌日再会しにいく。
お店の人に作家さんの事や、土や釉薬の話を聞きき
小一時間遠くで眺めたり、手に取ったり棚に戻したり。
まるで好きになった人と話をしたり、すこし離れてみたりするように。

そうして、少し細長い、掌ですっぽり包み込むことができるその器を、これからの珈琲のつれあいに、と、つれて帰ってくる。


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考えたら、銀木犀の香る時期に、やっぱり黄色い鳥で小泊さんの器をつれて帰ったのは二年前。
黄色い湯のみは、しっかりと私の日々の垢を付着させつつ、少しずつ貫禄を持ち始めている。
この器を手にしたときの自分の心情を思い出すたびに、
いま自分が見ている景色について、否応なくあの頃の自分と今の自分が問いかける。
そういうお茶の時間はぴりりと背筋が伸びる。
音の無い冬の朝のような静かな緊張感。


..


ああ、しづかだしづかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸博った希望は今日を、
厳めしい紺青となって空から私に降りかかる。

中原中也「春」より抜粋


こんなはずじゃなかっただろ?
歷史が僕を問いつめる
まぶしいほど青い空の真下で
真島昌利「青空」より抜粋


..


幾度となくおりてくる中也の詩と、そして今を胸博った希望の日々によく聴いていた唄。
青森からの新幹線の車窓より、流れる景色を眺めていたら、高校生の頃、名古屋へ通っていた頃の新幹線の車窓から景色と重なりました。


。。。


自宅に戻ってきて一週間。
我が家は当たり前に自分の居場所である事を実感しつつ、
この場所がある事のありがたさを噛み締めています。
この半年あまり見てきた景色と
そこを通過してたどり着いた此処の景色を咀嚼し、
いまは自分を鎮め、腑にある世界を見つめています。



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2011年10月18日

希望をめぐる堂々めぐり

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「暮らしててむかつくことはあるんだけれど、でも希望をさがしたくってね。だから、一緒にまちを歩こう。」
ある日、アキラさんと私はそんな言葉を見いだして、ある企みを始動し始めた、希望に向かって。



..

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そうして、ある晴れた休日わたしたちはお揃いのTシャツをきて真っ白の風船を両手にまちを歩いた。

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わたしたちを遠巻きに見る人も、写真を撮らせてと抱きついてきたり、すれ違う人たちのはんのうはそれぞれの反応だった。

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おなかがへったので定食屋にも入った。古びてるけど、きれいでかわいらしいお店。
入ってしばらくして、お店とわたしたちはゆっくりと長く横に揺れ、ほかのお客さんもわたしたちも、少し動揺した。
お店のおかあさんは動揺している私に「あの地震で大丈夫だったお店だからね。」と優しいまなざしを送りながら云った。


この言い様のない安心感。

あの揺れとその後を乗り切ってここまきたこの街の人たちの懐の深さ。


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その後わたしたちは美しい湖にたどり着いた。

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そこにはそれぞれにそれぞれの休日を過ごす人々。
わたしたちの手元にあった白い風船は瞬く間に、それぞれの人たちへと渡たった。


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手渡すたびに私はそれぞれと「会話」を交わした。

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かれらは自分が暮らすまちのことを自慢し、そして目の前にある不安についても、真っ正面から話してくれた。

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白い風船を持って。

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ふと振り返ったら、アキラさんはすごく幸せそうに、白い風船を持った子供と話していた。

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そしてあたりを見回すと、白い風船を持った子供たちでいっぱいになっていた。

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アキラさんと私は、この堂々めぐりに挑む前に、何度か話をした。
話すたびに、お互いのことを理解して、話さなくなると、不安になって。


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それでも一緒に歩きたかった。それぞれ別の場所から此処の景色を通過したかった。

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今私の懐に付着して残っているのは、彼らとの言葉のやり取りよりもむしろ、あの景色。見ず知らずの人に白い風船を手渡したときの彼らの表情と、それをそれぞれが手にもって次の場所へ向かうあの景色。

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そんな風に、ささやかだけどたいせつなことを共有できたなら、
本当にいらない物はいらなくなってなくなるんじゃないか。

いや、結論へと導くのはまだまだ早い。

此処まで来るのに時間がかかった。
私たちはもっと出会わなければならないし、もっと知りあわなければならない。
それを共有する魔法を編み出さなければならない。


。。。。。。。


そうして、風船を受け取った彼らは、今どんな景色をみているのだろう。



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2011年07月10日

青森から南下しています

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青森のレジデンスを一時休止して、今週末から始まる沖縄ののプロジェクトのため南下。
途中、ちょっと寄り道して、ミラクルでふくしまの友人に再会。

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友人宅では室内でアボカドとハヤトウリが芸術的に発芽していました。

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借家を改装して庭の前を開墾して暮らしていた小名浜の家
この庭であのかぼちゃは育ったんだねーとぼんやりおもう。


多分5年ぶりくらいだったのだけど、なんかするっと家におじゃまして、ご飯食べて、よもぎ風呂にいれてもらって、私はこれまでのなんかいろんな「役目」から一時的に解放されて、なんかほっとして爆睡。

翌朝、持参の珈琲道具でモーニング珈琲をのんで、しばしゆっくり話して、また近いうちにと別れる。

そんな心地いい関係にいつの間にか彼女との距離が出来上がっていた。

。。

スーパーひたちで田園風景を眺めながら、東京へ、そのまま路地と人のどよん展の最終日へ。

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ちょうど来室するどよんにばったり。。

室内はこんな感じ。

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どよんも自家焙煎していて、
一日20杯くらい呑む珈琲を、朝はエスプレッソ、その後ネルドリップ、ペーパードリップ、と呑む状況でドリップを使い分けてるって。
私も、先ほどエスプレッソマシーンをいただき、しかも珈琲の王子様(笑)においしいエスプレッソの極意を伺ったばかり。
明日の朝は久しぶりの我が家でエスプレッソ淹れてみよう。

ということで、やっとのこと我が家にたどり着いたら
のリアルカオスラウンジは、自由奔放に南瓜が自生していました。

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明日からは沖縄へ。

路地と人行商プロジェクト「販女(ひさぎめ)の家」が沖縄から始まります。
それと同時に、吉澤弥生さん、藤井光さんとともに前島アートセンター交流プロジェクトのドキュメンタリーを作ります。

こちらもお楽しみに。





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2011年06月09日

おんなともだち

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この時期の人参は味が濃くてしっかりしててね、ゆっくりゆっくり火を通すと、ぐっと甘みがでておいしいのよ。
3年前のこの時期に、彼女に教わったレシピは、すっかり私の定番で、最近はキャラウェイシードと一緒にゆっくり火を通す。

あのぼんやりとした夏を越えたあと、彼女は西の彼方の国へ飛んでいき、私は落ち着きなくあちこちと行き来する放浪が始まった。
元気?あきよさん。
私はげんきだよ。
そんなことを思いながらまたにんじんにゆっくりゆっくり火を通す。

。。。


久しぶりに、西荻のハンサムで彼女たちと晩ご飯。
普段はばらばらに暮らしを送っているそれぞれが時々ここでご飯を食べたり、誰かの家に集まったりする。
怪我をしてあんまり家からでかけられなくなっているときも、彼女たちはおかずをもって我が家に参上してくれたり。

地震のあと会ってなかったから、3ヶ月それぞれがたどった感情や、気持ちや、考えた事や、見てきた景色を報告し合う。
かとおもったら、下世話な話になったり、本当ガールズトーク最高で。。
めちゃくちゃ笑ったし、一杯食べたし、一杯飲んだ。
それぞれの位置からまなざしを、まぁなんかテキトーなんだけど送りあっている友人たちの視線の暖かさ。

サンキューおんなともだち(あ、男友達もサンキュー)
そして今すぐに会えない友たち、そちらは元気ですか?
こっちはみんな大丈夫です。

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2011年06月05日

東京に戻ってきています


かえってきても、青森とあんまりかわらないくらい寒くて、春はどこへ行ったとぼんやりしていたら、家先の駐車場に巻いた小麦が実っていました。神山の友人が有機栽培で育てている南部小麦の駐車場二代目。

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久しぶりの「路地と人」ミーティングで神保町に行ったら、靖国通りの勝手に菜園はこんなことに...

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生き物は、ちゃんと日々を詳しく感受し、作用し作用し合いながら、つぎの景色へと進んでいるのですね。

私はというと、夏から秋に企んでいることの話し合い三昧。
地理的なこと、社会的なこと、文化的なこと、そしてその一番の根底にある私たちの営み。
あっちと こっちと そっちと あっちで 勝手気ままに つなげてみようかと。
ばらばらのままで、それらをいろいろな角度から。

此処を通過して見える彼処の景色をたのしみにしながら。

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2011年04月20日

椿に呼び止められる

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「今朝ね、もう最悪だったんだけど、”そんなこともあるよ”って、そう椿によびとめられてね、振り返ったら、あまりにも椿がきれいだったから、それでまぁいいかって。」


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美しい椿と目が合って、何故だかもう何年も前の友人の言葉を思い出していた。


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気がついたらそこは春の森で


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樹々は待ちかねた様に春にを迎え夏へむかっている。


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私は首に巻いたネックウォーマーのあまりの場違いさからそれを外し、桜のなかに入るんじゃないかというくらい眺めていた。


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娘「この桜の木はちっちゃい子ですねー」
父「○○ちゃんとどっちか大きくなるのかなぁー」


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桜はこのときとともに、二人にとっていつまでもお腹のそこにある愛おしい記憶になるんだろう。


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夜、友人からのメール。心に突き刺さるテキスト。

「あの偉大な破壊の下では、運命はあったが堕落はなかった。無心ではあったが、充満していた」坂口安吾 堕落論より


そう、私たちはなんら失望なんてしていない。

種を蒔こう。
そうして、育てて、愛でて、収穫して、食べて、また蒔こう



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2011年04月12日

demo

高円寺で反原発デモ・15000人

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デモ活動では、特に目立ったトラブルも無く、
社会の注目を集められれば一応の成果といえる。
更に加えてそれら主張が周囲に認識され、
それらが他人にも受け入れられたのであれば、
目的を果たしたといえる。
(Wikipediaより)



..

祝祭の場所。
人々の今この現状への感情が昇華し、場を生む。
例えば江戸時代の百姓一揆は、こんなだったのかもしれない。
列の只中でぐるりと見回しながらふと思う。
去年の夏の、阿波踊りを思い出していた。

そして、
声を上げる人、楽器を奏でる人、踊る人、
わたしたちの安全を護る人、歩道から一緒に歩く人、歩道橋から手を振る人、遠くから眺める人....
.....を眺める。

私たちは誰に対して「抗議」しているのだろう、訴えかけているのだろうと。

そのことは前から考えていたことなのだけれど、
それは「大衆」なのではないだろうか、
自分を含めた、憎むべき大衆。

デモは祝祭の空間で、それは正しく祝祭の場だった。
それを踏まえて、タノタイガのブログで綴られていることも、確かにしかりだとも思う。
東北の現状とあまりにもかけ離れたここでの祝祭の場。
今あの現場で日夜瓦礫や泥や悪臭と戦っている人がいることを思いだしてやり場のない感情もわいてきていた。
泣き出しそうなくらい、、、いや泣いていた。

それでも今、私は共有することが必要だった。
それは様々な視点でこれからのわたしたちをイメージしていくことに繋がっていて、うまく言えないのだけれど、本当に先は長いし、単に思想だけでも、そしてそこに思想が全くなくても、だめなんじゃないだろうかと。

今でも大きな余震はある。
揺れた後の不安感。
あの場所がこれ以上ダメージを受けない様に祈る様な気持ち。
この気持ちはきっとかなり今共有できている。
だからこそ、これからの工夫もみんあでアイディア出し合って創造できるんじゃないか。
だから、今だったらあの大きくて危なっかしいモノを本当に停められる。


...

あの日から数日経って考えている事は
あの場所に居合わせた人はみな共犯者だった。
私たちの列をひたすら警護していた彼らもまた、心の底で同じ言葉を叫んでいたのだと。
南口について、我に返った表情を見たときに、そう感じた。



原発反対 
子どもをまもれ

原発反対 
未来をつくろ



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2011年04月05日

日々

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みなさん、それれぞれの場所で、それぞれにおげんきでしょうか?
私は今花が美しく咲き乱れ、空は青く光り、山は静かに美しい、そんな場所に居ます。

この一週間、地域ーアートということへの問いを、再考する試みを、あるコミュニティで実践していました。

アートで今出来ること、そんなことを言ってしまうつもりはないのですが
それでもなにも出来ないのであれば、アートは要らないんじゃないか、私が日々挑戦していることはそんなくだらないことだったのだろうか?そんなことを考え続けています。

。。。


ある感情について
私はその感情を出来るだけ客観視し、そうして表現しているつもりでした。
しかしながら、実のところは根源にその冷静な生き物の反応としてのその感情というものが
あるのかもしれない。
そして、その感情によって脈々と紡がれてきた美しい連鎖としての表現に、私は憧れ続けてきたのかもしれません。


そもそも、アートという言葉すら発してしまうことを、ここ数年避けていて、多分それはこれからもあまり変わらない。
しかしながら、先日とある友人から「お前はそろそろそのアートということばを正しく発するべきなんじゃないか。」と、いう言葉を投げかけられて
今心に深く深くささって抜くことが出来ません。

ありがとう、親愛なる人々よ。


。。

抗うことのできない暴力とそれに対する正しい怒り
そのことから発生する創造性をともなった美しい生産。

私が憧れて、愛してやまないのは、その現象。





  






posted by akirika at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2011年03月15日

つくし

いわきの友より無事との連絡に安堵。
2日間避難所に居て自宅に帰ったけれど、家はほぼそのままで平気だったんだそう。

「水も電気も止まっているけれど、うちはくみ取りトイレで水はとなりに井戸があるし、暖房は炭がいっぱいあるから。なんかあんまり普段の生活からかわらないんですよねぇ。ちょっと不便なくらいが実は一番強い。」

「ただ、これから放射性物質が飛んでくるから、やっと芽がでてきた野菜とかがどうなるんだろう。。こんなことで気付くのもなんですけど、、余計なことしたからややこしくなって。。」

たしかに。
余計なことするからややこしくなってるんだ。

普段あまり見ないテレビも情報収集のためにみているのだけど、ややこしい。
よけいなこといっぱいしているっぽい(笑)


家でやるべきことはあるのだけど、全然手につかないから、もう、いっかーとママ下湧水の森へ散歩にでかけた。

つくしを探して。

彼方此方で新しい芽は芽吹いていました。

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湧き水の小川に新芽。


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それを撮ろうと近づいた足下にも。


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可愛いピンクの子


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サクラもうすぐ咲くね〜


で、つくしは見つからず2時間くらい歩いて帰宅。
ふとみたらすぐそばのコンビにの駐車場につくしが生えていました。

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なんかね、それをみたら、大丈夫かなって。
ヤバい状況のなかで、なんとか居心地をよくするのは私たちの得意技じゃないかと。

posted by akirika at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々
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