2010年01月11日

後楽園ー御茶の水

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名古屋からの友人と小石川後楽園へ。

都市の名勝は、周辺の建物に景色を奪われ、近隣の遊園地から静寂を奪われ、近所のレストランからは薫りさえも奪われていた。

その場所と対峙する事をゆるさない場所。
居心地の悪さ。
それでも友人との再会の場に選んだこの庭園で彼女の視線が自分の視座と交差する。
それはあまり違わない角度だけれど、それだからなかなか交わらない。
そういう清々しさをいつも彼女と居るときに感じるのだ。

そうして、この場のしつらえを愛でていると自分のなかに居心地の悪さをいとおしく思う気持ちがあることに気付く。

....

その後御茶の水まで歩き、淡路町画廊上野茂都さんの個展へ。
淡路町画廊へ下る坂道は「幽霊坂」
建設途中のビルに囲まれて、幽霊がでそうな気配はなく、坂の下にポツンとツタの生い茂った森のような蔵の画廊。

この蔵もなくなってしまうのだそうだ。

.......

庭園を囲む環境が私たちの欲なのであれば、庭園を築き、今なおそこにある事もまたしかり。

すべてにおいてそれらは私たちを中心に発生し、その時代において価値づけられ、事物は価値と価値の間のせめぎ合いに揉まれて、たえず変化する。




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2010年01月09日

小寒すぎましたが...

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あけましておめでとうございます。

みなさんどんな年末年始をおくりましたでしょうか?

私は小豆島へ帰省してきました。
途中常滑の友人夫妻宅に立ち寄り、紅白を見ながら呑んだくれ、お互いの作品のことや生活のことやらを話しながらいつの間にか年越し。
そのままの勢いで近所の神社へ初詣のはしごをして、おみくじひいたり、行った先々でお酒やぜんさいを振る舞われるがままにいただき...
見事な年越し三昧でした。

ハマヒガさん、うたちゃんありがとう。

.....

年始は小豆島で、冬の棚田へいったり、山を歩いたり、祖母が住む豊島へ行ったり、沖縄の言事堂店長親子とMIMOCAに行ったり、友人とお互いの近況報告をしあったりと、てんこもりに遊んできました。


.....

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今回東京に連れて帰ってきたのは、昔ひいおばあちゃんが編んでいたみかんかご。
子供の頃、豊島に遊びに行くたびにてつだっていました。
今回、もう一度編んでみたいと、伯父や伯母に聞いてみたのですが、このかごの編み方を親戚はだれも知らなくて...
むぅー、ならば、私がやらねば....
ちょっとがんばってみます。

.....



そうしてまた日常に戻り、今朝久しぶりに近所のママ下湧水群へ水を汲みにいってきました。


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今朝は霜が降りていて寒い朝だったのですが、小川からは湯気が!
あたたかな水で洗濯をする方もいらっしゃいました。

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.....




散策しながら、先日まで歩いていた島の道と、そこで再会した人たちのことを思い浮かべつつ、いまここをあるいている自分。
別々の場所で生きていても、ぐるりと回って繋がっている、ひとつひとつの行為が連鎖反応のように遠くの誰かにささやかな振動を伝えている...
そう思えるとき、背筋がしゃきっとします。

旅の先にある視座が日常のそんなささやかな気付きにあるのだとしたら、その役目は芸術にも大いにあるのだとおもいます。
そして気付きを行為につなげていく。


人間であるということはとりもなおさず責任をもつことだ。
人間であるということは自分には関係がないと思われるような不幸な出来事にたいして忸怩(じくじ)たることだ。
人間であるということは自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとする事だ。
人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ。
「サン テクジュペリ 人間の土地」



さて、2010年、力を入れすぎず、抜きすぎず、じぶんらしくぐいっといきます。
みなさんも、ますます健やかな、実りある一年をおすごしください。

本年もどうぞよろしくおねがいします。



.....


小豆島散策
今回いろいろ面白い発見出会いがありました。
また近日報告します。



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2009年12月31日

大晦日

今日は大晦日。

ここのところの東京は空が澄んでいて、星空がとてもきれいです。
青年団のお兄さんたちが「火の用心」と楽しそうに、少しやけくそになりながらの夜警。
私はその声に頼もしさを感じ、部屋でぬくぬくしています。
年の瀬の清々しさ。
にゃんこも冬毛ですっかりもこもこです。

今宵は満月、朝方には部分月食があるのだそう。


そして明日は元旦。

この一日に特別なことを感じてしまうのは子供の頃からかわりません。

さて、新しい年、どんな年にしてゆきましょうか。
考えるだけで、わくわくします。

みなさま、どうか健やかな年をお過ごしください。


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2009年12月29日

堂々めぐる

落ち着いた光の代官山を抜けて
ひらひらと女の子たちが宙に浮いている渋谷を急ぎ足で抜け
平然とした普段の顔の母親たちが忙しく用事をすませる富ヶ谷で我に返り
年末の代々木八幡に居場所はなかった。

森が呼んでいる。

明治神宮はハレの日の準備で慌ただしく
私は木々の隙間に紛れ込むように逃げ込む

..................

杣(そま)とは森に対する古い名称のことである。
杣にはあまたの径(みち)があるが森のなかで草木に覆われて見えなくなってしまっている。
草木に覆われた森の道はどの杣径も離れた別の経路を走り、それぞれが違う径である。
しかし、そのそれぞれの杣径は同じ森のなかを走る道なのである。
森のそのひとつの径に彷徨ったとき、偉大なる森全体の意識を全神経で感じるべく神経を尖らせる。
そしてそのことによって森の源泉を知る事になる。

...

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つかの間、自分だけの今日の森に彷徨い
どんな顔も持ちたがらない西新宿へ。

...

これらの径の心得があるのは、杣人たちであり森番たちである。
杣径を辿り径に迷うとはどういうことであるのか、
熟知しているのは彼らなのである。

ハイデッガー Holzwege より


...

彷徨った径ですれちがった景色
それらはすべてそれぞれの日常で、つつましやかな営み。

...

努めなければならないのは、自分を完成することだ。
試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じ合うことだ。

サンテクジュペリ「人間の土地」より



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2009年12月05日

食べることをたのしみつくすこと

9月から狙っていた花梨。

気がついたらまったく脚立にのっても届かないところだけぷりぷり黄色いのが残っていて、それをどうしても穫りたいとずっと言っていると、YさんがT型の大きな定規の直角部分にカッターの刃を装着したすばらしい道具をつくってくれた。
しかもちょっとYさんの作品っぽい。

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黄色くてつやっとした花梨。

神山から届いたゆず。

これらを余すところなくおいしい保存食をつくるのが今回のお題


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柚子胡椒


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柚子ピール


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柚子茶と花梨ジャム


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柚子化粧水


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花梨はちみつ。ほかにも柚子ぽんや柚子酵母、柚子味噌も....

黄色い実煩悩成就。


。。。。。

食べることをたのしみつくすこと
それはもう、本気で食べること。
日常のでこぼこを骨の真ん中で感じるような

そのでこぼことは、人と人との繋がりであったり、自分自身の記憶であったり。

擂り粉木で柚子と青唐辛子をひたすらごりごりやりながら、少し前に聞いた賭場で働く栃木さんの話や、いのちのたべかたのことを思い出していた。


。。。。。


「ちゅんかいならいー」

先日沖縄に行った時に知ったうちなーぐち。

沖縄では昔はどこでも家庭でヤギを飼っていたそう。
お祝いや祭りの席で、手塩にかけて育てたヤギを振る舞う。
それを絞めるときに、絞める人がヤギの耳元でこうささやくのだそうだ。
絞めたヤギは文字通り骨の髄まで食べ尽くされる。


やまとことばにすると

「人間になろうねー」


。。。。。


アキリカさんの食べ物は、五感を刺激する

今日、沙羅にそんなことを云われた。



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2009年11月29日

11月

霜月に入って早々
長年愛用していた湯たんぽに穴があく。
新しいのを買ってこなければいけない。
同じのにしようか、それとも陶器のにしようか迷う。

古民家の我が家は既に極寒ベルリンより寒く、デスク周りはヒエヒエなのでmacをちゃぶ台に移動。
とたんにマイマックちゃんはアウトプットからインプットのツールへ。。
ちゃぶ台恐るべし。


。。。。。


さて、言い訳はさておき...
11月は色んな人と場所との再会しました。



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希央ちゃん淳ちゃんと竹生島へ。
二十代の頃、何度も往復した道を彼女の導きによって再びゆく。
琵琶湖があんなに沁みたのははじめて。
あの頃はきっとなにかわたしにとっての結界がはられていたのだろう。


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昔暮らしていたときに飼っていた黒猫のたが眠っている場所にも行ってみた。


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周りはずいぶんかわっていたけれど、そこだけはたけのまんま。
黒猫のたは土に還えり、なにかにひきつがれたよね。
それを確認できてうれしかった。




常滑在住ハマヒガ夫婦にも再会。

新しいアトリエ。やきもの散歩道入り口にあって、かっこよすぎる。



うたちゃんの作品.jpg
奥さんのうたちゃんの作品


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ハマヒガさんの作品


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人形の振りをするハマヒガ氏

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ハマヒガさん行きつけのおしゃれカフェにも連れて行ってもらった。
(本人が断固として主張)


二人に連れられて散歩しているとすれ違う人が陶芸作家だったり、アーティストだったり、地元をしっかり面倒見ているおじさんだったり。
常滑は、いい具合にメンツがそろっている。
そこに二人とも自分のキャラは消さずにいい具合にとけ込んでいるのが面白い。

それってなかなかできそうでできない事だとおもう。

。。。。。

そして先週は沖縄へ

言事堂ヘリオ氏おおの麻里さんと待ち合わせ。
宮城家3人も交えて6人でなぜかトランプに夢中になる。


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お店には瀬戸内国際芸術祭のポスターが!
店長の未来ちゃんとは同郷なのです。


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未来ちゃんと、娘の柚希ちゃんとドライブ。
久しぶりにちらー小そばに連れて行ってもらい、画廊沖縄で開催中の儀保さんの個展へ
ひっきりなしのお客さん。
画廊であやちゃんと国吉さんと再会。
久しぶりの国吉さんトークに引き込まれる。


イベントに遊びにいっていずみちゃんや吉田さん、ひばりやさんとも会った。

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みきちゃんといずみちゃん


元前島アートセンタースタッフのゆみこちゃんとも再会。
彼女との出会いは2005年のwanakio2005
そのときに感じた彼女のまっすぐさをいまもさびる事なく感じてうれしくなる。



。。。。。

再会の旅、旧友達の日々に触れる旅。

ゆるりとすれちがう船同士のような
対岸に見える島を臨むような
ちょうどいい距離感

こういうのなんだか心がぶ厚く膨らんであたたかな気持ちになる。




帰ってきたら、いく前に神山の東谷さんから届いていた柚子の薫りが部屋中を満たし、むかえてくれた。


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そして、帰ってくるといつも真っ先に近所の農家のおばちゃんのお店へいく。


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パンを捏ね、カボチャのポタージュスープを作り、珈琲を煎れる。
そんなふうに、ゆるりと自分の日常を動かす。


。。。。。

しばらくして湯たんぽを購入。
やっぱりいままでつかっていたものと同じタイプのトタン製。
macをデスクに戻し、椅子に座って机に向かい、私は私だけの深みに潜り込み妄想の世界をひろげはじめる。

その世界は、点ではなく線。
さまざまな領土を貫く線。


雨の音が心地よい夜、
本当、このままこの深みにずっと居られたらいいのに。


「きみが夜、空を見上げると。あの星の中の一つにぼくが住んでいるんだから、その星の中の一つでぼくが笑っているんだから、きみにとっては全部の星が笑っているようなものだ。きみは笑ったりすることができる星を持つことになるんだよ」

星の王子様より




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2009年11月25日

2009年11月18日

あさごはんのフォークロア

美味しい食べ物はいつだって半径100メートル圏内にある。

先日近所の農家のおばちゃんのおみせでまんまるな蕪と目が合う。


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大好きな里芋もならんでいたので、かぶと里芋のポタージュスープをつくる。

先日の天下市で、ひかりちゃんたちの学校の遊が販売していた青森の林檎があまりにも美味しかったので、最近林檎にはまっている。

林檎の皮や芯はすばらしい酵母になる。
その酵母をつかってパンが焼ける。
方法は門外不出(嘘)

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ということで、今朝のご飯は
林檎の酵母パンと蕪と里芋のスープ、アキリカ焙煎珈琲と林檎付き。
(今朝のひらめきブレンドはコロンビア、カテマラ、マラウィ、マンデリン、笑っちゃう組み合わせだったけど、なかなか絶妙)


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奥でひなたぼっこの猫付き。

。。。


ヒエを食べ、アワを食べ、ダイコンを食べ、あるいはサトイモを食べるという食生活は、平地で米を食べる生活に比べるならばやはりあまりよいものではない。米がみんなにとって魅力ある食べ物であるはずです。
それならばなぜ山間に多くの人が住んで、そういう米以外のものを食事にして生活したかというと、人間は食うためだけに働いているのではなくて、働くために食うものだということです。
例えば狩りをおこなう。これは肉を食うことも大事であったでしょうが、肉を食うよりも皮をとることがたいへん大事なことであった。

....

二百数十年の間、外国に頼らないで生き続ける事ができたということは、食糧を自給したからだったのです。
(中略)
イモが入ったことで西日本、だいたい大阪あたりから、九州までのあいだサツマイモの多くつくられたところでは江戸時代に人口が増えていっております。
江戸時代の人口というのは、亨保のころまでは増えてきています。
ところが亨保の飢饉を境にして、全般的には人口がふえなくなるのです。これは一つは産児制限のためでした。とにかく人が多すぎるから飢饉が起こる。だから飢饉をおこしてはいけないというところから産児制限をはじめる。そのため幕末まで、ほとんど東日本では減少ぎみでさえあったのです。
しかし西日本のさつまいもをつくったところでは、亨保から明治の初めまでのあいだに二倍三倍とふえたところは少なく有りません。そして人がふえていくということで新しい職業が発生していきます。

....

発酵させることによって味がよくなるということを、われわれは早くから知っていたのです。とくにでんぷん類発酵する能力をもっている。そこで日本では、できるだけ色んなものを発酵して貯蔵する。
発酵させるためには空気が必要になりますが、その空気の量もできるだけ制限されることが大事になってきます。そこで壷をつくる。日本は壷が非常によく発達した国です。

いずれも「日本人と食べ物」宮本常一


。。。

食べる事。
考える事。
そうして目の前のことを選んでゆく事。
私たちが食べ物とともに営んできた日々に思いを馳せながらの朝ご飯。
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2009年11月04日

ぐるりのこと

最近本気で冷え性を改善すべく腰浴を実行中。
ここのところのそのお供は「ぐるりのこと」梨木香歩 著

いつもなのだけれど、彼女の著作からは、彼女の声が聞こえる。
それは「りかさん」のりかさんであったり、「沼のある森を抜けて」の久美であったり...

ゆっくり噛み締めるように読みすすめる。
丁度一つの話が終わる頃には汗がびっしょりで、また明日ねと本を閉じる。

今日とうとう最後の章を読み終えてしまった。

この時間はもう二度とない。寂しいというよりもこの時間を通過した清々しさ。
彼女のぐるりのことへのまなざしは私の奥の方で震えていることを醸造してくれた。

群れの境界に足を引っかけて、どっち付かずの気持ちのまま、ノスタルジックな小説が書きたい、とおもうようになった。
「ぐるりのこと」より


心に刺さったものは抜けてしまうまで刺さらせておけばいい。

私は私のぐるりのことをふるふるとふるわせながら、一つだけの場所という物語を、紡ぎだしたいのです。

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2009年10月29日

甘藷先生

本は常に何冊か同時進行で読みます。
仕事の合間と電車の中用に鞄のなかには宮本常一
家のちゃぶ台にはミル・プラトー
お風呂場にはぐるりのこと 梨木香歩
枕元には自然療法の本
これぐらいのばらばらさが丁度よい

でも今はしばらく仕事が休み。台風の日半分避難で図書館に逃げ込み(家は古いので強風の日雨戸を閉めるタイミングを逃すととてもうるさいの)
私の琴線に触れたのは宮本常一。
しばらく翁の世界にはまってみることに。

今読み進めているのは「甘藷の歴史」甘藷とはさといものこと。
芋はまえまえから気になっていたのです。

一昨日ネットでたまたま甘藷まつりなるものを発見し、歴史手帖を愛用する私としてはいっておかないといけない行事。

あたたかな陽気に背中を押されて目黒不動尊につくといきなり阿波踊りに迎えられる。

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この夏阿波踊り真っ最中に徳島に居た(しかしそれを体験する事はできなかった)わたしにとってはなんだか感慨深い。これを見にきたのか?と一瞬納得する。

法被には「さんま」の文字

そっか、目黒はさんままつりで有名だった...

去年神山にレジデンスでいったときも、町長さんが目黒のさんま祭りにスダチ持っていってきたっていってたもんね。
ひとしきり阿波踊りを眺めたあと階段を上りお不動さんを参る。


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お不動さんの裏には大日如来が、そしてその奥には鳥居が有り、小さな石のほこら。
土地の石神さまがいらっしゃいました。


その裏の道を進むと甘藷先生こと青木昆陽のお墓。
10月12日は甘藷先生の命日。
それにちなんでのまつりなんだそうです。

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墓前には徳島のなると金時が!


おなかが減ったので、大学芋をいただきながらぼーっと人の流れを眺めていると昔も今もあまり変わりはない気がしてきて、時代劇のような着物を着た人々が縁日を楽しむ姿がオーバーラップする。いやほんとまんまなんだけどなんかそう思ったのだ。

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帝都は貴族と極度に貧しいものの二重構造によって成り立ってくる。この二つのものをつないだ形で民衆信仰をもった寺院が存在した。
(中略)
その内側に店家を何件もかかえている。小さいながら寺内町をもっているのである。
(中略)
とにかく都には物資が集まり、また多くの労力を必要とするということもあって、そこには人が集まってきたのである。
ヨーロッパおよびオリエントの都市ははじめからひとつの自衛手段として町をつくり城壁をめぐらし、そこにおのずから市民精神というようなものが生まれでたのであるが、日本の場合にはそうではなかった。都府にしても、国府にしても、そこは支配者の政務をとるところとしてつくられたのである。そしてその空閑地へ浮浪者や貧窮のものが住み着く形でマチが発達しはじめるのである。
しかも人々が貧しいながらも都府に集まってきたということは、そこに貨幣が動いていたからにほかならぬ。米をもってすべての物資が交換される場合にはどうしてもまず米をもたねばならぬ。したがって水田農耕に従う事が生きる重要な手段になるが、貨幣によって物資流通がおこなわれるならば農耕をはなれても生活を立てる手段は容易に生じてくる。そして土地をもたなくても生きていく道ができてくる。

宮本常一「町のなりたち/町の発生」より



つまり日本の町は、ヨーロッパのように都市計画によってできた計画的なのはなく、飢饉などで農業ができなくなって流浪を余儀なくされた人々が生活のための営みとして物流をおこない、それにともなった市によって定着していったものが今の町と呼ばれる場所の原型だと。

あぁ、その緩さだいすきだなぁ。

目黒不動尊を後にして、リハビリもかねて北西に5キロ祐天寺のナリワイまで歩いた。
しかし今日もイトウさん不在。アポなしあかんね、イトウさんすみません。
今では周辺部は都市計画のもとに居住区と大型ショッピングモールがはっきりと分けられつつある。
都市部である目黒区のこの辺りも、さっきまで古い商店街だったとおもったら急に建て売り住宅の並ぶ人気のない町。
隣近所のごあいさつぐらいはしたとしても祭りがおきることはないだろうし、もし地域の問題が発生してもなかなか協力して解決していく事は難しいだろう。

住まう事を簡略化してしまうと、なんだか住み心地はどうなんだろうか。
それは私が住んでいる町の周辺でもおきていて、ここに12年住んでいて私たちはあまりかわらずも周りが徐々に変化し住みづらくなってきている。

でもまぁ、元来日本人てあんまり住み心地とか気にしなかったのかもなぁ、とも「山に生きる人々」「海に生きる人々」を読んでおもったり。

住めば都ということだろうか。。

で話は甘藷先生に戻って。。
サツマイモはすごいんですよ。いや本当。

それは昔コリンタッジの「農業は人類の原罪である」を読んで各種芋については思いを馳せていたのですが。。

ま、もうちょっと咀嚼します。


で、今私がはまっているのは安納芋
焼き芋にすると、とろとろのほくほくで美味しいのです。
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2009年10月26日

じょしのまほう

どんよりした日曜日。
そんな天気だったとしても、女子は楽しく過ごせる魔法を持っています。

お昼過ぎさっちゃんとちえちゃんとみきちゃんがおいしいご飯をもってやってきました。


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本日のメニューは

ちえちゃんのロールキャベツ 
さっちゃんのサモサとグリーンサラダ、クリームチースとラフランスの相性がすばらしいの
みきちゃんのなすとオリーブのソテーバルサミコ味
私はひじきと根菜のお惣菜とスダチ酵母のぶあつめピタバン、それに味噌ごまペースト。

相変わらず、見事かぶらず。

前日にちえちゃんが「ロールキャベツをつくろうかな〜」という一言。
で、その他の女子たちはぽかぽかのロールキャベツ妄想し、別にお互いなにかもうしあわせるわけでもなく集まったメニュー。

食後にはさっちゃんの旦那さんお気に入りのチョコレートケーキ&アキリカ珈琲で〆ナリ。



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おなかぺこぺこで、いただきますが祈りになってしまった。


このあとみんなは国立の北側でのアトリエ展へ
私はまだいけていないので、いったら報告します。

黄色い鳥器店にもいったみたい。

国立は今度の日曜日から天下市
一橋大学の学園祭もあります。


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2009年10月24日

人間の営みの根幹

ずいぶん
ご無沙汰しているけれど時々釣行する。
目的は食べるため。
なので、釣った魚は小さくて食べるのはまだ早いのはリリースするけれど、ほとんどリリースしない。
そして釣ってすぐ絞める。勿論自分でさばく。
それはもう、おいしくいただくために無駄なく美しく。


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ホウボウを釣ったとき、本当に「ホウボウ」と鳴くからペットにしてみようか、とすぐに絞めずに釣りの最中バケツに入れていた。
釣りが終わった頃ホウボウは固くなっていて、その姿は既に愛でる対象ではなく、食するものにかわっていた。
そのときのホウボウは刺身にして食し、アラはみそ汁にしていただいた。


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去年
いのちの食べ方という映画を見た。
そこには、当たり前にオートマチックに働く装置とその手伝いをする人間。
そして、生き物であるにもかかわらず、乾いた感触のする動物たち。

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最後の断末魔だけが唯一リアルで、映画はひたすら美しい構図で現実を投影し、
その視点は見る側にゆだねられていた。


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少し前
友人とその映画の話をした。
彼は「僕はあの牛のようにはなりたくない。」と云った。


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その視点は全く私は決して陥る場所ではなかったことなので、驚いた。
まっすぐすぎる意見。
しかしながら、まったく彼の生き方に沿った意見だった。


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昨日
通っている勤務先の文化人類学の特別講義。
芝浦屠場で働く栃木さんの講義を聞く。


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屠殺場の歴史というのは、古い。
私は関西圏内の田舎で育ったから、なんとなくその温度を肌で知っている。


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現代の社会が孕む、気味の悪い潔癖性さは、二重の偏見があるというのも、話を聞いていてとてもよく分かった。


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栃木さんは講義の最後に
「自分は仕事として人間を育むために東京都に安定した食品を供給する。屠殺という仕事を誇りを持ってやっている。」と締めくくった。


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彼らは仕事に誇りを持っている。
彼ら職人の技によってさばいたものをいただいているということが、話を聞いていて安心し、うれしかった。


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かつて
稲作は大陸から帰化人より持ち込まれた。
それまでは畑作、狩猟採取で営みをおこなっていた。
山間部が70%もある日本の国土で、畑作だけで食物をまかなえたはずもないし、やっぱり元々生き物の肉を食していたことは普通にイメージできる。


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食べなければ生きていけない。
そのことをより保証してくれる稲作が大陸から伝来したことで、日本の社会の構造は稲作的な社会にゆるやかに確かに変化した。


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そのことの延長線上に、屠殺場で働く人への偏見も大きく関係しているのだろう。
いままで気づくこともなかったけど、スケープゴートを生み出す構造は私たちの体の中にくっきりと植え付けられているのだろうと、友人のまっすぐな意見を思い出しながらはっとした。


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最近
私はあまり肉は食べない。いや食べれなくなった。
で、食べないことで自分は体調がよいと云うことを知って、より食べることが少なくなった。
元来日本人は肉を食べなくていい体質であるという意見もある。
私自身は幼少時肉より魚を多く食べていたからなんじゃないかと勝手におもっている。
(それは骨密度108%でも立証済み 笑)
でもまぁ、お肉を食べることを否定する気もないし、美味しく食べられる人がうらやましかったりもする。


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生きていくために必要な物だから食べる、そのことに過剰に倫理や潔癖さを追求し、思想的なロジックに陥るよりも、もっと見つめたいことが私にはある。


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営みとは?

私たちはどこから来てどこへいくのか?
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2009年10月21日

空間

ウェブでだって言葉から溢れてくるその人の体温を感じることがある。
自分の日々の延長線上に交差するその人の日々。
その人がまだ会ったことがない人であったとしても、
ずーっと会っていないひとであったとしても...

そんな人の一人、K10ちゃんとの再会。

あってすぐ、お互いの言葉と言葉が囲む空間。

その後彼女の師の手が織りなす空間に包まれる。
右手と左手のそれぞれの線が生み出す空間。
決して交わらず、互いがそれぞれの脱領土と再領土を繰り返す。
高須博氏のピアノ

領土とはまさに一つの行為であり、この行為がすべての環境とリズムを触発して「領土化」をおこなうのだ。領土はすべての環境とリズムを領土化したときに生まれてくるものだ。

(ミルプラトー リトルネロについて より抜粋)


領土、脱領土、再領土についてはここのところミルプラトーを何度も読み返して考えこんでいて、それはこのなつのことの続きとして、そしてngaokaくんとの話の続きとしても、交差するところ。

もう少し反芻が必要。








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2009年10月20日

たね

日曜日、久しぶりの朝霞
soup stock Tokyoの店先でフライヤー

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 東と西、北と南の風土の違いは価値であり、
 しかし、摩擦の種でもある。 
 国ごとの文化の違いは価値であり、
 しかし戦争の種でもある。
 企業ごとのプロダクトの違いは価値であり、
 しかし過剰な競争の種でもある。
 その争いの結果、物は過剰に溢れたり、
 過剰に消失し、社会にも地球にも負担をかけてきた。
 

 (以下省略)

pass the batonのフライヤーのテキスト。


。。。


そして今日高嶺さんのトーク

大きな休日、鹿児島エスペラント、God bless Americaなどを映像とともに語る。
コンセプトや構造を解説するというよりは、そのときの自分のこと、向かっていた視線について。


作品は答えではなく問いであること、それは他者へ向けて、自分自身へ向けて。

ひとつの、しかしありとあらゆる可能性の種

この日のトークのタイトルは「どこで暮らそうか?」


。。。



夜、彼女からの誘い。
今日の昼間、私もあなたのことを考えていました。
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2009年10月17日

ぎんもくせい

いつまでたっても霞まない記憶。
嗅覚には特にその魔法が潜んでいて、それは自分自身が認識するわたしが忘れていたとしても、わたしの体はわすれてはいない。

そういう反応が訪れたとき、ほんとうにどきりとする。


。。

いつも通るみち
わすれてはいないどこかの記憶がその薫りをとらえる。
それは何処の記憶なのか、薫りをたよりに、潜ってみるけれど、おもいだせないままだ。

記憶はどこまで深くあるのだろうか。

締め付けられるように懐かしい。

銀木犀のかおり


ginmokusei.jpg


。。。

かえりみち別のみちを通って帰る。

その途中で、器をひとつつれて帰る。

ゆうやくのシミがぽつりぽつりとあって、あまり描かれていないものがしっくりきた。


kodomari.jpg



これからの私の日々に寄り添ってゆくであろう湯呑み。
こんにちわ、どうぞよろしく。


kodomari_te.jpg


今朝のブレンドは、マンデリン、マラウィ、コロンビア、パプアニューギニア。
4つの豆のバランスでも大きく変わる味。今朝のはまぁまぁうまくいった。
posted by akirika at 06:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年10月08日

台風が去った後

いちどき激しくアブラゼミが鳴いた。

そのあとのどをカラカラ云わせて泣き止んだ。

蝉のいきたていたい意志に

いっしゅん締め付けられた。

posted by akirika at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年10月01日

ひゃくはち

「それって煩悩の数ですか?」

「その100を越えた8ってなんなの?」

「確実にOSアップしましたね。」

「そこ、逆に強くなったんすか!」

。。。。。


骨密度.jpg


「だいたい80が標準だから、充分すぎるね。」と談志先生
(いまのかかりつけの医者は談志師匠似....徳島での主治医は秋篠宮様似でした。)

骨密度108%

骨折しといていうのもなんなんですけど
骨には自信があったんです、昔から。


。。。。

10月ですね。
けがをしたのが8月1日
丁度2ヶ月経ちました。

生き物は、生きている限り破損した部位を修復する方向に向かうものなのだと、体で感じています。

理屈はやっぱり分からないし、今のところの私には要らないなぁ...

posted by akirika at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年09月29日

旧友

「四十にして迷わず、っていうけど....四十歳になって、迷うことに迷いがなくなったよー」
沖縄に住んでいたときのお隣さん泉ちゃんと久しぶりの電話での彼女の一言。
学生のときから彼女のささやきはなんだか哲学的で、久しぶりの泉ちゃん節が懐かしかった。

最近学生のときの友人と連絡することが多い。

ときどきくるハマヒガさんからのよくわからないけどぐっとくるメールは、いつも今居る自分の場所を考えたりするし、今年から石垣に行ったヒロキさんの相変わらずなヒロキさんぶりにはテンションがあがる。

旧友たちみんなはそれぞれにそれぞれなのだけど、あの美大生特有のうだっとした感じを共有したという、なんとなく同じ穴の狢な感じを引きずっている。

ソフトボール大会なのにやたら仮装にちからいれたりとか、鋳造実習で徹夜なのに、夜食に力入れてしまうところとか、制作のおいこみとかみんなでどろどろに溶けてしまいそうなくらい疲れてたりするのにまだ話しちゃうとかね..
あの感じ、脈々と体の中に残っていて、手放せないなー、なんて思って

久しぶりにJ氏のブログを覗いたらシンクロニシティ。

あ、でもベルリンだけどね。ミュンヘンじゃなくて....
posted by akirika at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年09月25日

妄想する欲求の円環

徳島で知り合った方にいただいた美生柑の皮
酵母がたっぷりいますと云う顔をしていたので、
入院中からそれを捨ててしまう事がどうしてもつらくって
帰京するときに二個もって帰って来れたので迷わず酵母を起こす。

連休中、向こうでお世話になった人たちの顔を思い浮かべながらパンを焼く。
隣のひかりちゃんとおかあさんのめぐみさんとも一緒に。
天然酵母のパンはこねてからじっくり発酵させるので6時間くらいかかるのだけど、隣だから、適当に、ふくらんだ〜?とかいいながらいったりきたりして..


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ドライフルーツのパン

で、パンを焼いていたらお見舞いのお礼を送った神山の方からまたすだちが届いたり、すだち酎が届いたり。。


hikari_pan.jpg

ひかりちゃんがこねたパンとすだち



すだちのおかえし.jpg


ぐるぐる ぐるぐる 
相手の喜ぶ顔を妄想する欲求の円環
互いを理解しあおうとする本能的な反応による行動。


パン教習のお礼にひかりちゃんからはルッコラ(すごいりっぱなの)をいただく。

rukkora.jpg


先日いただいたかぼちゃのお礼に福島の彼女にも送った。
楽しんでもらえたみたい。

http://hohohonoji.exblog.jp/

パン笑ってたんだね。
送られている途中で笑ったのかも(笑)




posted by akirika at 19:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年09月16日

かぼちゃ

帰宅したら福島の友人から小包
大きなカボチャが新聞紙とエアキャップに包まれて緑の包装紙に赤のリボン。
私のブログを見たあとの突発的な彼女の反応。
その温度がかぼちゃに充ち満ちと蓄えられていた。
http://hohohonoji.exblog.jp/10208507/

nojimasan.jpg


nojimakabotya.jpg


kabotya_danmen.jpg


kabotya_gohan.jpg
posted by akirika at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々
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