映画は独りで観に行くのが好き。しかも単館モノで、最近はドキュメンタリーをどうしてもチョイスしてしまう。
久しぶりに地下鉄にのってBerlnaleが始まっていることを知る。
土曜の夜、どうしても独りで映画が見たくなり、想田和弘監督の『精神』を引き当て、夜22:15からの上映に駆け込みでアレキサンダープラッツへ。
霧がかかった塔を見て、なんだか映画みたい。。と映画を観る前に思う。『精神』は精神病院に通う患者を撮ったドキュメンタリー。
http://www.varietyjapan.com/news/movie_dom/2k1u7d00000guftd.html映画は2時間10分ナレーションも、音楽もなく、ただただ患者の生の姿がそこに映し出されている。通常TVなどのドキュメンタリーだと名前は仮称で顔は撮らない。
しかし、ここでは顔と表情が終止映画の重要な表現になっている。
最後のテロップで、出演した患者さんの中で、既に3人この世から去っていることをみじかい文章で告げる。
その三行は、見るものに問いを投げかけている。
映画が終わって質疑応答。すばらしい、という賞賛ばかりが並ぶ。それはそうなのだけど、なんだか心地悪い....と思っていると最後に日本人の観客がそれに反応して監督へ問いをなげかけた。
「あなたは大変なことをしてしまったんじゃないか」と...
でも私は、それは監督にかぎってのことではなく、私たちの日々は誰もがそうしてしまう可能性にお互いあるということ。
そう、お互いに。
社会は常にそのアンバランスさを情報という捏造された事実で覆ってしまうことでバランスを保っているふりをしているということを想田和弘監督は抽出しようとしていて、その行為の線上に今回の「精神」という映画が現れたのだと私は感じた。
つくる側からの視点でこの映画を観ると、コミュニティに関わることの危うさを感じられずにはいられなかった。
関われるのはごく僅かな時間で、でも関わったからにはお互いに影響を及ぼしてしまう。そうでなければ作品はリアリティを伴ってはこない。しかしそれを引き受け、且つアーティトとして作品としての映像をつくりあげていくには、相手を傷つけそしてこちらも傷を負うこと、それを避けることは出来ないだろうと思う。
しかしながらドキュメンタリーフィルム『精神』は想田和弘監督の作品だった。
みっちり1時間ほど質疑応答が終わったのが深夜2時前。
全然地下鉄もバスも走っている。
√9=±3
映画に出てきた記号から派生する自分自分勝手なイメージを思い浮かべながら、霧に包まれた町並みを眺めながら帰宅する。
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59th Berlnaleは来週の日曜日まで。
日本で見逃した「ぐるりのこと」もやっている。
今週は久しぶりに映画三昧もわるくないかも。
映画が普通に850円(7ユーロ)くらいでみれちゃうんだもの。
posted by akirika at 18:51|
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