
わすれてしまうことは忘れてしまえばいいのかもしれない。
それでも身体の奥のほうではきっとわすれてはいないから。
そんな簡単にわすれはしないから。
。。
一昨日馬淵川の向こうの石油コンビナートのエリアをあるいた。
昔よく川崎埠頭でつりをしていたときにも苛まれた部外者感。
その感覚は居心地が悪い反面、突き抜けると快感でもある。
火力発電所からの水煙。
津波に襲われたままのそのまま風化した施設。
フェリーターミナルに集まるうみねこの群れ。
港に苫小牧行きのフェリーと外国から来た貨物船。
そこは、私たちの日常の蓋の下、壁の内側。
私たちの暮らしが依存しているその場所は
いつだって「関係者以外立ち入り禁止」だ。
。。。
昨日、先日漁に同行させていただいた漁師の舘さんのご自宅へ。
朝うかがったらすっかり朝食を用意してくださっていて、すっかりいただく。
舘さんは地元の漁港で一人で船に乗る漁師さん。
一人で乗る理由や、そのための工夫、そして昔鮪船にのっていて船長さんだった頃のお話を聞く。
一言で漁師さんと言っても
それぞれのやり方や関わり方がある。
そこには個人と社会の関わり方の角度。
舘さんご夫婦と、海沿いをドライブする。

。。。。
レジデンス先の部屋に戻り珈琲を入れたら
ちょうど14:46だった。
はっちの館内放送の合図とともに黙祷。
あの日もこんなふうに一人で居た
そうしていろんな人の事を考えていた。
大丈夫だろうかと心配な人のこと
大丈夫かと心配してくださる人のこと
それぞれの人との縁について
この一年考えずには居れない一年だった。