2012年01月23日

2012年

syougatu_densya.jpg


なにかこう、朝から清々しく、さめざめとした気分で、暦を見たら今日は旧暦では年明け、新月。
そういったことにこだわって生活している訳ではありませんが(あ、新月は大潮なので釣れるなぁーとはいつも思いますが。)なにか、こう、自分の動物としての感覚や感情が日常の隙間にむき出しになるとき、それをあまり無視しないようにしたいなぁ、とおもっていたりします。神話に作用されることなく。

で、他の事があって、画像の整理をしているのですが、それを見返していると、年末年始も相変わらず移動していて、それぞれみた景色が面白かったので、だらだらと報告します。

。。

大晦日は、生駒山へ。
これは長年生駒山をフィールドワークしている宗教社会学者の渡邊さんと一緒に。
石上から頂上へ向かい、奈良側に下りました。
大晦日の生駒山はほとんど人気がなく、今後この登山は語りぐさになろるであろうと、ワタナビーさんと既に爆笑しつつ登山。
出発が遅すぎて、下山はまさかの暗闇のなかで、危ないのですが、面白かった(はい、もう二度とやりません。)
石上から山の際にある朝鮮寺の存在が、なんというかいとおしく美しかった。

生駒の神々とても参考になる本です。

tyousendera.jpg

その後はふるさとに帰省し、自然舎のやまちゃんといきなり誘った高松の庭師の多田さんも一緒に島八十八カ所の行場巡り。
子供時分は友達と探検しつつ知らぬ間に島四国をまわっていたりすることがあったのだけど、山の観音さんは行った事がなかった。
山を登ってゆくと滝が二筋。その前にめぐったお不動さんで、熱心に祈祷するおばちゃんたちが「あそこはええで、今日あたりほんまにきれいやと思うわ」とすすめてくれたし、山ちゃんも最近見つけたお気に入りの場所。
本当に美しい場所だった。
今こうしているときもあの場所は絶えず自然の摂理に従って運動が起きている、ということを思うことで、意識が広がる。
なにか気持ちが還ることができる。

syougatu_shima2.jpg

syogatu_kamiyama1.jpg


そのすすめてくれたおばちゃんたちが祈祷をあげていた場所。
(実際に祈祷するのは少しくだったところにあるお不動さんですが...)

shyogatu_shima3.jpg


それから今年100歳になる祖母がいる豊島へ。大叔父さんの軽トラを借りてドライブ。
その後この軽トラがパンクし、友人のイチゴ農家の森島さんに、年始初の森島JAF出動をいただいてしまいました(笑)
壇山には行けなかった。けど、またゆきます、スダジイの翁に会いに。

keitora.jpg

100歳をむかえるばあちゃんは、元気でした。

。。

その後神山では、すこしインタビューと(これのために今写真を整理しているのですが)猪を犬で追って狩っている81歳の翁にお会いしてきました。3時間ぐらいお話を聞かせていただいたのですが、心に張り付いているのは「猪を狩る」という表現ではなく「山で仕事をしている」という表現。そして、20匹ほど居る一緒に仕事をする犬との精神的なつながり。

まだまだ話足りないし、翁もまた来いといってくださっているし、今後もうかがおうとおもっています。
。。

そうして、また大阪へ戻り、ついていきなり友人宅にてちやほやされ、インタビューや、去年歩いた紀州街道のきになったところをもう一度歩いたり、釜ヶ崎へ用事もないのにいったり、十日戎に行ってもみくちゃにされたり、プレオープンしたばっかりの「OTONARI」におなかぺこぺこで駆けつけて、メニューにないご飯を作っていただいて、ちやほやされたり、
中崎くんの展覧会へいったり。大阪のアーツカウンシルを作る会のシンポジウムへいったり。

chiyahoya1.jpg

chiyahoya2.jpg

ebis.jpg

oosaka_mondai.jpg

。。。


いつものごとく、あっちこっち行き過ぎてやや未整理なのですが、あっちとこっちとそっちとこっちで、人はなんかしらのよりどころをもってバラバラに集まる。
それくらいがちょうどいいなぁって。


帰って来て、路地と人で遅い新年会。
仙台に出稼ぎ中のチナツちゃん不在で一人たりないのですが、路地と人も3年目に入りました。
あいかわらず、ばらばらで、テキトーなのですが、そこがまた家族のようで...

rojitohito_nabe.jpg




小さな力であり続けること。
その力はいつ、どこへでも飛び火できるちからであること。
ひろく多様なことをふまえ、故にシンプルであること。


まぁ、なんにせよ、気ぃようやります。
今年もよろしくおねがいします。

posted by akirika at 14:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2011年12月30日

暮れ

IMG_2375.jpg

年の瀬のにゃんこせんせい。

。。


日光街道を日本橋から北千住まで。
日本橋から数キロはなれた場所には皮革問屋街、肉問屋街、社交場。
いまもそれは土地にべったりとはりついた土地の匂い。
土着 ということについて考える、

漂流

ことばにするとうまくいえないけれど、人々の業のようなものは、ぐるぐると連なり連鎖する
同じ場所にとどめずに、拡散し、ほどよく忘れたい。


。。。


気がつけば今年もあと2日。
年末はやはりひとつの節目、さっきすこしだけ自分のここの記事を数年振り返ってみました。
いろんな事が起きているようで、なんにも変わっていないようなそんな気もします。
それでも、日々は過ぎていき、社会は起きることを呑み込んで、うにょうにょと変化し、時代を経てゆく。
私たちはどうにかそれに追いつこうと、いろんな事をわすれたふりをして、生きてゆく。
そうしなければ、おいてけぼりだから。

例えばしばらく仕事で自宅を離れていて、久しぶりに帰って来て、そんで散歩していたら、お気に入りの建物があっけなく、取り壊されていたりすると、なんというか、自分だけがなにかに留まろうとしているんじゃないか?とぽかーんとしてしまったりするわけで。
なんというか、間に合わないです。いろいろ。


それを留めているのが、人の記憶なのだとしたら、私はその留めている物事を、聞きたいし、感じたい。
そんな感じなので、これからも多分、相変わらず会いたい人に会いにいきます。



。。。

昨日、久しぶりに縁側に猫のナカザワさんがきました。
時々忘れた頃にやってくるナカザワさん。
わすれんなよ、って。


IMG_2360.jpg

..

今年もいろんな事がありすぎて、まだ消化しきれていないのですが、これから時間をかけて帰省しつつ
いろいろと見て来た景色を反芻しながら島にたどり着きたいとおもいます。

それではみなさま良いお年をー
posted by akirika at 07:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々

2011年12月27日

日光街道堂々めぐり その1

首都高.jpg

先日の路地と人での「せんだいノート」の会で久しぶりに中西レモンさんに会う。
だいたい、会うといつも、本気なのか冗談なのかわからない事を云う赤パンのレモンさん。
私が勢いで、
「今度の天皇誕生日に日光街道を歩こうよ、皇居から川を越えるまで。」
レモン
「あぁ、良いですね、良いルートだ。」


結局23日は私の都合が合わず、そして皇居と日光街道は微妙にズレているので
24日の昼下がりから日本橋から歩いてきました。

まずは「凧の博物館」
たいめんけんのオーナーが無類の凧好きだったらしく、同じビルの上の階にあります。

凧の博物館2.jpg

凧の博物館1.jpg

のっけから笑かされました。

江戸の浮世絵や文学にやたら詳しいレモンさんのゆるい解説付きで、けっこう長居する。

。。

いわゆる今云われている日光街道を歩くという訳ではなく、街道周辺の脇道をきになるほうにすすむ私たち。

土着なかんじなものでは

地蔵.jpg

お地蔵さん

これは別のひに見つけたのだけど、お玉の池の跡

お玉の池跡.jpg

椙森神社

IMG_2315.jpg

ここと柳森、烏森で江戸山森だそうです。


柳森神社にある力石群、富士の溶岩とともにまつられていました。

力石.jpg

柳森神社の「こて絵」

こて画.jpg

柳森神社の空間は完璧で、居心地がよい、だからかどうかはわからないけど猫が多し。

IMG_2298.jpg

竹森神社.jpg

江戸山森には入っていないみたいですが、竹森神社というのもあり、ものすごく小さな空間だけど居心地がよかった。
ここの向いにある定食屋さん要チェック。次回絶対に行くとレモンさんと私それぞれこころに決める。


建物できになったのは

岩本町問屋街の銅葺きの看板建築。
岩本町.jpg

公共施設の建物は、だいたいなんか無駄な装飾が多いと思います。

公共機関の建物.jpg

こういう感じ大好きです。

浅草橋.jpg

すこしはなれたところでも、こんな感じ。はやったんかなぁ。

浅草橋2.jpg

あと暮らしたくなる感じの商店街は

先日、エンテツさんの古墳ナイトで話題になっていた鳥越神社のちかくにおかず横丁。

おかず横丁.jpg

山谷のいろは横丁らへん

いろは横丁.jpg

あとと三ノ輪橋の商店街は狭さと密集具合がいつも居心地いい。

看板できになったのが..

美枝子の店.jpg

ボローニュ.jpg

ロシヤ.jpg

。。

紀州街道を歩いたときにも感じたのですが、日光街道でも大きな川を越えると、なんというか、自治の変化をかんじます。
千住大橋を越えて南千住エリアから北千住エリアに入ると、やたらと「街道」を主張するのが面白かったです。

この話は、ほかのエリアを歩いて感じたり考えたりしたことと共にその2で書こうと思います。
posted by akirika at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2011年12月20日

わすれてはいないこと

全体.jpg


瀬尾さんと小森さんとは多分5月頃仙台でばったり知り合った。
経緯はよく知らないのだけど、彼女たちは二人で東北の被災している地域を映像をとりながら話を聞いている。
一度だけではなく何度も通っている。

彼女たちがどんな景色を見てきたのだろうと、それをご飯を食べながら聞く事もできるのだけど
もっと距離のある関係で聞いてみたくて報告会会場の3331へ。
彼女たちの話を聞きながら、自分自身が見ている景色、そしてなぜだか昔通っていた老人ホームで知り合った「岩井さん」のことを思い出していた。


。。。。。

私はその老人ホームで働く友人に、折り紙を一緒に折る、ボランティアをやってみないか?と誘われていったのだけど、
途中からはそれは口実になっていた。
そこで知り合った岩井さんと私は同じ干支で、長崎生まれそだった岩井さんは私の年齢と同じ年の頃、長崎で戦渦に遭っていた。
被爆は免れたものの、それは大変だったと、そんな話をしたかと思うと、
もっと若い女学院通いだった頃のこと、東京に嫁いできて旦那さんと幸せだったこと、息子を先になくしてしまったこと、そんな話が、時代を交差して入り乱れつつ、私にぽつりぽつりと話をする。


あるときひまわりを折っていて、ちゃんと飾りたいから茎のための竹串が欲しいと云った岩井さんに100円均一で買ってきた竹串の束を手渡した。
彼女はそれをみてめをまんまるにして「そんなに沢山つかえない、もったいない」と。
私はすかさず、「でもこれ100円だから」と云うと
「1本しかつかわないのに、もったいない。」と...
そこから気持ちが動けなくなっているのを見て、
私ははっとしてしまった。

それからも多分10日に一回は岩井さんのところに通っていた。
通い足りない気持ちとともに、彼女の日常に私が深くかかわる事も、少し恐れてもいた。

その後岩井さんは入院し、告げられていない自分の病気の事も充分気がついていて、孫や親戚に云えない気持ちを絞り出すように打ち明けたことがあった。
「長崎に帰りたい」と。
もちろん私にはどうしようもできるわけでもなく、彼女はその後数日後に他界した。

私たちはどこまで先に進んできてしまったんだろう。。。

ものすごく寒い日に初めて伺う岩井さんの自宅で
静かに眠る彼女の亡がらを見つめながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。

。。。。

先日岩手の野田村に再び訪れた。
そこのとある仮設住宅で、小さな窓からずーっと外を眺めているおばあちゃんに知り合った。
彼女の話は、津波のこと、嫁いできた頃の話、今のお嫁さんが大事にしてくれている話、子供の頃塩づくりのために薪を集める話
そんな彼女の見てきた景色が交差する。

そうして、「たのしいことはこれっぽっちもなかった」とくりかえしくりかえし何度も云う。

そのこと私には聞くだけしかできない、
けれども、聞くことだけはとことんつき合おうともおもっている。
彼女の「たのしいことはこれっぽっちもない」状況を私の力でどうにかしよう、とか、彼女たちのために何かしようというのとは、少し違っていて、ちゃんと一人の人間同士としてつき合いたいし、そういう意味では私ができる事は彼女と当たり前につき合っていきたい、と思っている。
それは野田村に関わらず、すべての出会う人たちと。



そんなことを瀬尾さんと小森さんの話を聞きながら考えていた。



努めなければならないのは、自分を完成することだ。
試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じ合うことだ。

サンテクジュペリ「人間の土地」より







瀬尾さんと小森さんの見てきた景色の話
http://komori-seo.main.jp/

posted by akirika at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2011年11月13日

日々

半年に一回くらいふらりと立ち寄る黄色い鳥器店
階段を上がって目の前の棚のくすんだ黒い器に惹かれる。
近寄って手にとってみると、遠目にはわからない艶。
その日は一目惚れをさますように一度手放す。
それでもやっぱりきになったので翌日再会しにいく。
お店の人に作家さんの事や、土や釉薬の話を聞きき
小一時間遠くで眺めたり、手に取ったり棚に戻したり。
まるで好きになった人と話をしたり、すこし離れてみたりするように。

そうして、少し細長い、掌ですっぽり包み込むことができるその器を、これからの珈琲のつれあいに、と、つれて帰ってくる。


kuro_utuwa2.jpg


考えたら、銀木犀の香る時期に、やっぱり黄色い鳥で小泊さんの器をつれて帰ったのは二年前。
黄色い湯のみは、しっかりと私の日々の垢を付着させつつ、少しずつ貫禄を持ち始めている。
この器を手にしたときの自分の心情を思い出すたびに、
いま自分が見ている景色について、否応なくあの頃の自分と今の自分が問いかける。
そういうお茶の時間はぴりりと背筋が伸びる。
音の無い冬の朝のような静かな緊張感。


..


ああ、しづかだしづかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸博った希望は今日を、
厳めしい紺青となって空から私に降りかかる。

中原中也「春」より抜粋


こんなはずじゃなかっただろ?
歷史が僕を問いつめる
まぶしいほど青い空の真下で
真島昌利「青空」より抜粋


..


幾度となくおりてくる中也の詩と、そして今を胸博った希望の日々によく聴いていた唄。
青森からの新幹線の車窓より、流れる景色を眺めていたら、高校生の頃、名古屋へ通っていた頃の新幹線の車窓から景色と重なりました。


。。。


自宅に戻ってきて一週間。
我が家は当たり前に自分の居場所である事を実感しつつ、
この場所がある事のありがたさを噛み締めています。
この半年あまり見てきた景色と
そこを通過してたどり着いた此処の景色を咀嚼し、
いまは自分を鎮め、腑にある世界を見つめています。



kuro_utuwa.jpg

posted by akirika at 13:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2011年10月23日

さいごの堂々めぐり




ばらばらになっても、

それぞれに、それぞれの場所で、

土地に耳を澄ませ、それぞれのステップで歩いていこう。

見つけて、知らせて、

けっしてわすれてはいない。

いま見つめている景色。

さようなら、さようなら

それでも地球はまるいから 

堂々めぐって またあうひまで。

ごきげんよう、ごきげんよう。



posted by akirika at 22:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 王魚余沢

ひと月前の景色

先月のかれいざわの景色。
まちも、人も、すこしずつ景色は変わる。



私ももうすぐこの山を去る。
posted by akirika at 09:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 王魚余沢

2011年10月18日

希望をめぐる堂々めぐり

IMG_1516.jpg

「暮らしててむかつくことはあるんだけれど、でも希望をさがしたくってね。だから、一緒にまちを歩こう。」
ある日、アキラさんと私はそんな言葉を見いだして、ある企みを始動し始めた、希望に向かって。



..

IMG_1564.jpg

そうして、ある晴れた休日わたしたちはお揃いのTシャツをきて真っ白の風船を両手にまちを歩いた。

IMG_1536.jpg

わたしたちを遠巻きに見る人も、写真を撮らせてと抱きついてきたり、すれ違う人たちのはんのうはそれぞれの反応だった。

IMG_1534.jpg

IMG_1520.jpg


おなかがへったので定食屋にも入った。古びてるけど、きれいでかわいらしいお店。
入ってしばらくして、お店とわたしたちはゆっくりと長く横に揺れ、ほかのお客さんもわたしたちも、少し動揺した。
お店のおかあさんは動揺している私に「あの地震で大丈夫だったお店だからね。」と優しいまなざしを送りながら云った。


この言い様のない安心感。

あの揺れとその後を乗り切ってここまきたこの街の人たちの懐の深さ。


IMG_1522.jpg

IMG_1524.jpg

IMG_1525.jpg


その後わたしたちは美しい湖にたどり着いた。

IMG_1510.jpg

そこにはそれぞれにそれぞれの休日を過ごす人々。
わたしたちの手元にあった白い風船は瞬く間に、それぞれの人たちへと渡たった。


IMG_1575.jpg

手渡すたびに私はそれぞれと「会話」を交わした。

IMG_1588.jpg

かれらは自分が暮らすまちのことを自慢し、そして目の前にある不安についても、真っ正面から話してくれた。

IMG_1606.jpg

白い風船を持って。

IMG_1605.jpg

ふと振り返ったら、アキラさんはすごく幸せそうに、白い風船を持った子供と話していた。

IMG_1576.jpg

そしてあたりを見回すと、白い風船を持った子供たちでいっぱいになっていた。

IMG_1591.jpg

アキラさんと私は、この堂々めぐりに挑む前に、何度か話をした。
話すたびに、お互いのことを理解して、話さなくなると、不安になって。


IMG_1531.jpg

それでも一緒に歩きたかった。それぞれ別の場所から此処の景色を通過したかった。

IMG_1586.jpg

今私の懐に付着して残っているのは、彼らとの言葉のやり取りよりもむしろ、あの景色。見ず知らずの人に白い風船を手渡したときの彼らの表情と、それをそれぞれが手にもって次の場所へ向かうあの景色。

IMG_1607.jpg

そんな風に、ささやかだけどたいせつなことを共有できたなら、
本当にいらない物はいらなくなってなくなるんじゃないか。

いや、結論へと導くのはまだまだ早い。

此処まで来るのに時間がかかった。
私たちはもっと出会わなければならないし、もっと知りあわなければならない。
それを共有する魔法を編み出さなければならない。


。。。。。。。


そうして、風船を受け取った彼らは、今どんな景色をみているのだろう。



IMG_1602.jpg

posted by akirika at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2011年10月05日

ただ今水戸にいます。

昨日から水戸入り。
アーティストの中崎くんのところで行商プロジェクトです。

中崎くんは震災後、至るところでよく会います。
中崎くんとよく会うようになると、不穏なことが起きるという、笑えないジンクスがあることを昨日知らされました。
ははははー

販女の家@遊戯室

それはさておき
今日10/5から10まで水戸を堂々めぐりします


Live video by Ustream

連日だいたい13:00〜 9日は14:30〜10日(月)は11:00〜

いろいろ忙しすぎて報告できていませんが、よろしくおねがいします。

中崎透
posted by akirika at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | おしらせ

2011年09月17日

かれいざわアートICHIBA

0702_3.jpg

4月から滞在中の青森空港のすぐ近くの集落王余魚沢(かれいざわ)にてレジデンス報告の展覧会が16日よりはじまりました。

旧王余魚沢小学校の teco LLCの事務所件(*1)、mac shool (*2)を拠点に、アーティストインレジデンス期間中、地域住民、来訪者、スタッフらと、会話したり、道をあるいたりなどの、日常的な作業をおこなうことを「部活」と称して、
日常生活から発生するコミュニティを再構築するAKIRIKA mac school projectを展開。

部活と活動内容は..
【散歩部】まち歩き「かれいざわ堂々めぐり」を活動内容とし、地域住民、来訪者が興味の赴くままに王余魚沢集 落を歩き、それぞれの視点で集落の魅力を見いだす。まち歩き後は地図を作成する。
【手芸部】王余魚沢集落のおばあちゃんたちと手仕事をともにおこない、コミュニケーションをはかる試み
【放送部】微弱な電波を使いFM ラジオの電波を流し、時にその副音声情報としてUst 放送をする試み。
【台所部】料理を楽しむことから生まれるコミュニケーションを慈しむ試み
【音楽部】身近なものから音楽を楽しむ試み

アートICHIBA 展覧会 9/16−25 会期中のイベントとしては

9/17(土) 散歩部による「堂々めぐり」
9/19(月) 【かれいざわ あんずましい タイム】12:00〜
東京生まれ、東京育ちで現在東京在住のアーティスト原田賢幸と、王余魚沢在住の船水さんの対談をラジオ放送+Ustream 放送「NPO 法人あおもりラジオクラブ」による津軽弁翻訳副音声放送
【 びおんプロジェクト】9月19日(月)14時〜17時 「森の演奏会」 美術家/演奏家 吉濱翔によるワークショップ
日常品や楽器などを使って演奏を行うワークショップです。空き缶を転がしたり、ギターを ひきづったり、袋をふくらませたり。様々なできごとで発生する音、不思議だと思う音、いろんな好きな音のオーケストラをつくり、演奏会を開き発表を行います。

演奏会はあおもりラジオクラブの協力のもとFM ラジオ放送とUst 放送します。
USTREAM チャンネル http://www.ustream.tv/channel/ ラジオアカデミア
        ミニFM 放送局 88.8Mhlz 協力/あおもりラジオクラブ
9/21(水) 台所部による料理対決〜ジャガイモ編〜 安岐理加× 立木祥一郎による料理対決
9/22(木) our table*「アートの現場/現場のアート NPO ーオルタナティブー公共文化施設」1日目
        安岐理加(美術家/「路地と人」の人)× 中崎透(美術家/中崎透/遠藤水城遊戯室)× 斉藤まさこ(AIRS) 司会:服部浩之(ACAC/ midorii art center)
9/23(金) our table*「アートの現場/現場のアート NPO ーオルタナティブー公共文化施設」2日目
服部浩之(ACAC/ midorii art center)× 甲斐賢治(せんだいメディアテーク、npo remo、npo recip)× 立木祥一郎(teco LLC)司会:安岐理加(美術家/「路地と人」の人)
両日19時〜 USTREAM放送あり。
USTREAMチャンネル http://www.ustream.tv/channel/王余魚沢akirika

our table* ひとつのテーブルを囲み、そこに集まった人たちで問いをたて、話をし、ひらめいた事を共有する時間と場所の試み

など、連日盛りだくさんです。

そして、旧王余魚沢小学校内の安岐のスタジオでは、これまでの「部活」の活動アーカイブと連日その活動をUSTREAM放送しています。


Live video for mobile from Ustream

青森の小さな集落での試み、どうぞかいま見てください。

(*1)teco LLC
tecoLLCは、市民ひとりひとりの小さな力が、知恵を使ってプロジェクトを実現し、街や社会を動かす公益活動となるような大きな力に育てていくための最初の 「てこ」の一押しからのお手伝いをするために設立されたシンクタンク型のソーシャルエンタープライズです。
(ウェブサイトより..)
http://www.teco-llc.net/about/index.html

(*2)MAC School  Majide Airport Chikai School
2010年2月に美術家中崎透とキュレーター服部浩之がtecoLLC のかれいざわスタジオ設立へのお祝いとして、MAC School(Majide Airport Chikai School) という看板作品をノリでプレゼントし勝手に命名する。
結果teco 社長の立木祥一郎氏が校長に就任し、現在に至る。


posted by akirika at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会
Powered by さくらのブログ (C) 2008 AKIRIKA All Rights Reserved